「新しき村のお祭りは毎年9月に行われるもので、バイオリンなどの音楽演奏会があったり、バレエの公演があったりしました。当時の毛呂山町はかなり田舎で、現地の人にとって相当文化的なものだったでしょうね」

 どの家でもあるように、実篤は孫を溺愛していた。孫に対する気持ちが垣間見える文章がある。

「僕はすぐ化けの皮があらわれる嘘をついて喜ぶ悪い癖があるのだ。『お祖父さんもと相撲取りで横綱だったのだ』なぞと言うと半信半疑の顔しながら『本当』と孫は言う、その時の顔つきが実に面白く滑稽で可愛いのだ」(武者小路実篤『一人の男』から)

 武者小路実篤は小説に限らず、色紙に静物の絵を描き、そこに「讃」と呼ばれる短い言葉を添えた絵画を多く残した。

「仲よき事は美しき哉」「この世に美しき物あるは我等の喜び」など、短く本質を突くものが多い。まるで格言のようである。

「あの言葉は誰かに向けて書いているのではなく、自分自身に向けて言っているのです。こうしなさいとか、こうあるべきとかではない、いわば自分の生き方の宣言のようなものなのです。だから、『勉強 勉強 勉強のみ よく奇蹟を生む』も誰かに勉強しろではなく、自分で勉強をして、研鑽を積まなければならないということを表しているのです」

 実篤の絵画は数多くあるが、野菜や果物ばかりで犬やなど動物はない。その理由を知行さんはこう話す。

「祖父は見たとおりに絵を描くのです。だから犬や猫は動いてしまうから、描けないのです。生き物の中では魚を描いていますが、死んでもう動かない魚です。絵を描くとき植物を祖父の前に置くと、枯れ葉や虫食いの葉などを取ってくれと言うのです。あるとそのまま描いてしまうからなんです」

「この道」1967年 紙本墨画淡彩
「この道」1967年 紙本墨画淡彩

 数ある中で、唯一何も見ないで描いたものがある。その絵画に添えられた讃は「この道より 我を生かす道なし この道を歩く」。

「この道は一つしかない自分の中にある道なので、実際の風景を見る必要はないのだと話していました。祖父らしい話だと思います」

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