誰にでもこの笑顔で、紳士的だがうそのない語り口で接する。出版界で有数の人格者だ(撮影/葛西亜理沙)
誰にでもこの笑顔で、紳士的だがうそのない語り口で接する。出版界で有数の人格者だ(撮影/葛西亜理沙)
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 物書き人生半世紀。一貫して在野に身を置き、あの戦争の史実に向き合うべく数千人に会い、数多の著作を著してきた。

 記憶の中には取材した約4千人の証言が息づき、膨大な史実がアーカイブされ、「図書館」のようだ。

 それらの蓄積に突き動かされ、国民を愚弄する官僚や政権への警鐘として、保阪は今この時も歴史の教訓を書き起こしている。

 JR東京駅前のビルの一室。保阪正康(79)は受講生と向き合う席に着くと、目を閉じて話し始めた。今年3月のことである。

「先月、2月26日の未明に一人の男がアメリカでこの世を去りました。松尾文夫というジャーナリストでした。天皇(現上皇)の学友で寮が同室だったから、陛下が何を食べたかなど、毎日メモを取ったそうです。天皇の親友でした。そして彼の祖父は二・二六事件の日に人違いで殺された松尾伝蔵です」

 目を開いて座り直し、話し続ける。

「彼がアメリカに調べ物に行くというので、止めたんです。でも彼は、日韓関係の改善のためには史実を解き明かす必要があると。史実が大切だと。そんな男が2月26日に亡くなりました」

 そう話し終えると一呼吸おき、「今日は終戦までの3カ月についてお話しいたします」。その日の講義が始まった。

 保阪は月に1度、社会人講座「慶應丸の内シティキャンパス」(慶應MCC)で、昭和史を読み解く講義を開いている。3時間に及ぶ本編の前に、記憶のポケットから取り出すように「歴史余話」を語る。そして本編でも記憶を探るような語りが続く。こんな具合だ。

「7月17日、ポツダムにいるトルーマンの元に、『ベビーが生まれた』という連絡が届きます。原爆の実験が成功したという一報です」

 自分の記憶のように語れるのは、半世紀もの間、昭和の史実を追い続け、150冊近い著作を著し、市民講座で語り続けてきたからだ。そしてそんな「昭和史の語り部」保阪の存在感が、改めて増している。

■国民を愚弄する官僚の姿、新たな「東條論」で警鐘

 昨年7月に発表した新書『昭和の怪物 七つの謎』は瞬く間に売り上げを伸ばし、現在13刷18万部。続編も3刷5万8千部に達している。講談社現代新書編集部の小林雅広(32)は「発売初日から予想を大幅に超える売れ行きで驚きました。昭和を知る世代の『昭和とは何だったのか』というニーズに刺さったようです」。満面の笑みを浮かべる。

 各種市民講座の受講希望者も後をたたない。冒頭の慶應MCCは受講料がやや高めだが、早々に定員に。同社事業部長の城取一成(58)は「本格的に近代史を学びたい方々に大人気です」と、胸を張る。受講者も、鈴木貫太郎の孫で音楽評論家の道子(88)や日本在住の韓国人女性(35)、在宅医療で戦中世代を看取ってきた男性医師(49)など、実に多様だ。

 そしていま、保阪は東條英機と密に向き合っている。新たな「東條論」を発表するためだ。40年前、話題作『東條英機と天皇の時代』を発表しているが、なぜ再び「東條論」なのだろう。

「思想も何もない官僚的な発想の人たちが依然として日本を動かしている。だから東條を通して、近代日本の政治風土を総括しようと思ってね」

 保阪が「思想も何も」と言うのは、文書改竄問題や統計不正調査問題などにみる現政権や官僚たちの態度にほかならない。国民を愚弄する態度が、無謀な戦争で大量の兵士を死なせた軍官僚に、重なって見えるという。

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