菅原文太さん=2013年に農園で撮影(写真部・馬場岳人)
菅原文太さん=2013年に農園で撮影(写真部・馬場岳人)

「俳優という仕事は組織に属しているわけではありませんから、病気になったらダメになるし、スキャンダルにあえば仕事はなくなります。その中で『自分に何がやれるんだろう』と考えていたのだろうと思います」(文子さん)

■デジタルの撮影が嫌い

 農家になったのは、2009年。山梨県北杜市に農園を開いた。標高940メートルの地点に広がる農地で、農薬と化学肥料を使わない農業を始めた。

「都会で生活していると、靴が汚れることもないし、コンビニもあるので便利だけど、私も夫も都会が好きではなかった。だから、農業を始める時は何の問題もありませんでした。地に足をつけて、土にひざまずいて生きることが人間にとって自然なこと。でも、農業がこんなに大変だとは思いませんでした(笑)」(文子さん)

 その文太さんが晩年にこだわったのが「命」だった。特に2011年の東日本大震災以降は、福島や故郷の宮城に足を運んで被災者の話に耳を傾けた。2013年には、こう話している。

「農薬、化学肥料、放射能と、どこの土も何かに汚染されている。自分だけではどうしようもないよ。それでも、子どもたちは新しく生まれる。だから俺は無農薬農業を続けるんだ。小さな抵抗だけどね」

 2012年に俳優引退を宣言した理由については、いくつかの説明をしている。周囲によく語っていたのは「撮影がデジタルになったから」ということだ。「監督が『スタート!』と言っても、モニターばっかり見てて、何度も撮り直しをやらされる。撮影現場に緊張感がなくなってイヤになった」と、笑い話にしていた。2007年に膀胱がんになり、体力が落ちたことも影響を与えたかもしれない。

 しかし、これらは表面的な理由だったのではないか。少なくとも、東日本大震災という現実が与えた影響が大きかったのはたしかだ。

 2013年に俳優業復帰の可能性を聞かれた時は、「やらないね」と言いながらも「いいノンフィクションならやってみたいと思うけど」とも話していた。東日本大震災と福島第一原発事故という現実に、劇作品よりも「もっと社会のために動かなければならない」と考えていたのだろう。


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