「仲井眞さん、弾はまだ一発、残っとるがよ」
文太さんがそう凄むと、会場は大きな拍手と歓声に包まれた。同月16日の投開票では、翁長氏が仲井真氏に約10万票の差をつけて当選。事前予測を上回る圧勝だった。それを見届けた文太さんは、12日後の28日、81歳の人生に幕を下ろした。
晩年に、珍しく自ら筆をとって色紙に言葉を書いたことがある。そこにはこう書かれていた。
<心は湖水に随(したが)って 共に悠悠たり>
俳優を引退した後の文太さんは忙しい日々を過ごした。農園では、再生可能エネルギーを利用して電力も自給自足する構想を描き、職業に関係なく志を同じくする仲間がよく訪れた。文子さんは「いつも仲間たちと夢を語り合ってました」と話す。
沖縄で文太さんからエールを受けた翁長氏は、知事として安倍政権と激しく対決し、18年8月に現職知事のまま死去した。その遺志は、玉城デニー沖縄県知事に引き継がれた。農園は、現在は文子さんが文太さんの育てた“土”を引き継いで、農業を続けている。生前、文太さんは「満足できる土ができたら、百姓はいつでも死ねるよ」とも話していた。夫が亡くなってから5年後の今を、文子さんはどう感じているのだろうか。
「農業はね、昨日に家族が死んでも、今日、耕さないといけないの。毎日が忙しくて、今でも夫がいなくなった感じがしないんですよ」
文太さんが現代の日本社会に挑んだ「小さな抵抗」は、今でも多くの人に引き継がれ、続いている。(AERA dot.編集部 西岡千史)
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