文太さんにとって俳優引退は、重要なことではなかったはずだ。農園を開いてからは積極的に若いスタッフを雇い、農業を学ぶためにいろんな人と交流した。原発問題や特定秘密保護法などの政治的な問題では、積極的に取材を引き受け、今の日本社会に警鐘を鳴らした。文子さんも、その活動に一緒に参加した。
「今の日本人は自分の半径数メートルぐらいのことしか考えない人が多いでしょう。もっと世の中の出来事、広い世界を見てほしい。夫も、そう考えていたと思います」(文子さん)
国会議員になるよう、選挙に出ることも依頼された。ただ、この時ばかりは文子さんが大反対したそうだ。
「熱心に誘ってきたのは、亀井静香(元金融担当相)さん。でも、私が『それだけはやらないで』と言いました。だって、夫はヤクザの親分とも仲がよくて、写真もたくさん撮っている。政治家になっても袋だたきにされるだけですから。夫は、人と付き合う基準は『良い人か、嫌な人か』でしかないんです。ヤクザでも良い人ならいいし、総理大臣でも嫌な人なら付き合わない。年齢、職業、国籍なんて何も気にしない。そういう人は、建前だけの今の日本では受け入れられないですよね」(文子さん)
■沖縄で見せた最後の俳優魂
亡くなる約4週間前の2014年11月には、沖縄県知事選の応援演説をした。沖縄では、当時の現職の仲井眞弘多氏と、米軍普天間基地の辺野古移設反対を訴える翁長雄志氏による事実上の一騎打ちだった。知人から「翁長さんの選挙が危ない」と聞き、病を押して出かけたのだ。
だが、そこで最後の“俳優魂”を見せる。1万人の聴衆を前に、あの低い声で、ゆっくりとこう語りかけた。
「政治の役割は二つあります。一つは、国民を飢えさせないこと、安全な食べ物を食べさせること。もう一つは、これが最も大事です。絶対に戦争をしないこと」
そして、「基地の県外移設」を公約にしながら、当選後にほごにした仲井眞氏に対しては、「仁義なき戦い」で裏切り者の山守に向けたセリフをぶつけた。