「ずっとあなたを好きだったけど、気づいてくれない。これ以上は苦しいだけだからピリオド打つことに決めました、とラブレターを書いたの」
驚く私に、「かっこよくない? 『好きです』の告白もなく、サヨナラのラブレター」と自分で言う登紀子さんがかわいかった。自分の人生の脚本を自分で書いて楽しんでいる。そして客観的にその結末を面白がれる人。なぜなら精いっぱい生きているから。
そんな登紀子さんは高校生のとき、将来は歴史学者になろうと思っていたらしい。
「歴史はね、一つの時代から次の時代に移行する。その変わり目が大事なんじゃない?」
これが登紀子さんという人のキーワードな気がした。
「だけど高校の授業って、経済は何々制度、政治は何々制度って変わり目がぷつっと線で切れてて。それでいいんですかって先生に言ったの」
きっと登紀子さんはいつも変わり目をしっかり見ている。目をそらさない。そして常にどう生きるか、いま何をすべきかを考えている。
「ラトビアの独立のとき、一切武器を持たない市民が集まった。その先頭に立ったのが、私の“百万本のバラ”って曲の作曲者だったの」
そして、時として、変わり目のマドンナになる。
私たちも、実は、コロナ禍を経験し、知らず知らずのうちに変わり目のマドンナやヒーローになっているかもしれない。そんなことに、彼女に会うと気づかされる。新しい時代への大事な変わり目を登紀子さんと一緒に楽しもうではないか。ドラマチックに。
※AERA 2022年7月4日号