作家・画家の大宮エリーさんの連載「東大ふたり同窓会」。東大卒を隠して生きてきたという大宮さんが、同窓生と語り合い、東大ってなんぼのもんかと考えます。3人目のゲスト、加藤登紀子さんとの対談を振り返り、大宮さんが思ったこととは。
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登紀子さんから伺った東大話は、マグマのようでそして少し甘酸っぱかった。どちらも私のキャンパスライフになかったもの。やっぱりそういうのがあそこにはあったんだ。その真ん中に登紀子さんはいた。
でもそもそも、登紀子さんがそういう人なのかもしれない。たとえば、高校時代。学生運動にのめりこみ、成績が下がってしまった登紀子さんを注意した先生に言い放ったセリフ。
「高校は受験のためにある時間ではありません。だからほっといてください。私は今しかできないことをやっているんです」
私は高校時代にそんなふうに思って生活していただろうか。何かを見つけられていただろうか。もしそうだったら、もっと人生は違っていた気がする。
なんとなく高校をカリキュラムに従って過ごしていたあの時の私に、世間体に抗う力や、いま何をすべきかと考える力があればと思うし、今こそそれは大事なのかもしれない。
登紀子さんの時代、政府がどんどん決めていく法案を自分ごととして意見し、反対すべきは棒を持ってデモをし、戦っていた。日本という国を自分たちが主権の国として躍動感ある生き方をしていたんだと思う。
私なんかは、自分の近視眼的な生活を優先してしまい、国の行く末に対して、諦めもあるのか、全てを捨てて戦うまで熱くなれない。そんな葛藤がある中、学生運動で負け続け、打ちひしがれるお兄さんに、お母様はこう言ったと聞いて胸が熱くなる。
「あなたたち、勝とうと思っていたの?」「こんなの敗北のうちに入らない。負け続けてもやらなきゃいけないんです」
結果よりも、自分の志と信念を持つこと。結果が伴わないからといって見失わないこと。それは人生においてもだなと思った。
登紀子さんは学生運動ばかりだったのかなと思いきや、恋もしていた。