つねにサプライチェーンの報告が要求された。取引先も命懸けだ。日本の熊本の製造事業所からイメージセンサーが届かなければ、スマートフォンの生産ができないからだ。何個生産され、いつ出荷され、どの飛行機の便に乗って、いつこちらに届くのか。生産が間に合わないとなれば、柳沢らは日本に戻って、必要な個数が生産されるまで見守った。
「向こうも寝ないから、私も寝ない。それくらい徹底して付き合う。我ながら本当によく頑張ったと思います」
それにしても、なぜ、彼は“鉄人”と称されるまで働き続けたのか。その理由については後に触れる。
■帰国後のミッション
大手メーカーなどへの採用が広く知られたことで、ソニーのイメージセンサーの認知度は飛躍的に上がった。12年ごろになると、スマートフォンメーカーだけでなく、その周辺のパートナーなどITジャイアントと呼ばれる企業への売り込みにも成功する。
米国のイメージセンサー事業は完全に軌道に乗り、14年、柳沢は無事、帰国の切符を手に入れた。
帰国後のミッションは、国内の営業部隊の強化だった。しかし、わずか2年で、ソニーセミコンダクタソリューションズ社長の清水照士に「卒業」をいい渡された。
「営業分野だけじゃなくて、次は事業全体を背負ってくれ」
M&Aやアライアンス協業を含めた、センシングデバイス事業の立ち上げの主導だ。19年6月には、エッジAIセンシングプラットフォームを展開するシステムソリューション事業部が発足し、柳沢は21年10月、その事業部長に就任した。21年度のイメージセンサーの金額シェアは43%で世界トップ、25年には60%を目指す計画だ。
目下、期待を集めているのが、積層技術を生かし、ロジックチップにAI処理に特化したプロセッサを搭載した「IMX500」だ。イメージセンサー内でAI処理を行い、必要なメタデータだけを出力する。データ量や、通信コストの削減につながり、消費電力はおよそ7400分の1で済む。
この技術は、IoT(モノのインターネット)の時代に大きく花開く可能性を秘めている。柳沢は、こう語る。
「IoTに使われるセンサーの多くは、気圧計とか温度計などデータ量が小さいものが多い。イメージセンサーは、複雑でデータ量が大きいため扱いにくい。でも『IMX500』なら、データ量を小さくして扱えるようになる。そこがソニーの強みです」