知らなかった。幕末にこんな女丈夫がいたことを。その名は、大浦慶(おおうらけい)。楠本(くすもと)イネ、道永栄(みちながえい)とともに、“長崎三大女傑”に連なる一人である。本書はその、大浦慶の生涯を描いた物語である。
嘉永六年六月末、舞台は長崎。出島近くの大波止で阿蘭陀船の入津(にゅうしん)を見物する人の群に、大浦希以(けい)(後の慶)は手代の友助とともにいた。ちなみに、アメリカのペリーが浦賀沖に黒船四隻とともにあらわれたのは、同じ月の頭だった。
希以は老舗の油問屋・大浦屋の惣領娘として育てられた。希以の母も総領娘だったため、入り婿をとっており、それが希以の父、太平次である。希以が四歳の時母が亡くなり、その翌年、太平次は後妻を迎える。新しい母親が家に入ることを希以は喜んだが、異母弟ができてから後は、希以はその三人の輪の中には入れてもらえなかった。そもそも、祖父が入り婿である父には早々と見切りをつけ、希以を大浦屋の跡取りとして仕込んでいたこともある。
その祖父が亡くなった時、希以はまだ十二歳。大浦屋は父の代になり、徐々に傾き始める。そして、祖父が亡くなった四年後、大浦屋を試練が襲う。隣町から出た火が油屋町にまで及び、後々語り草になるほどの大火事となり、大浦屋は土蔵一つを残し、家屋敷も庭も丸焼けになってしまったのだ。父は妻と弟だけを連れて、真っ先に逃げ出していた。取り残された希以はまだ十六歳。父はそのまま大浦屋を出てしまったため、当主不在となった大浦屋を案じ、姉や親戚が相談を重ねた結果、希以は婿を迎えることになる。だが、祝言を挙げて間もないある日、土蔵に入り、蔵の中の物を品定めした夫に、希以のほうから離縁を言い渡す。「こげん性根のぐずついた男は、お父しゃま一人で充分ばい。養いきれん」と。
このエピソードが痛快なのは、これだけで希以の気持ちのなかにある“芯”が伝わってくるからだ。祝言をあげて七日も経たぬうちに(婿を)帰したとあっては、外聞が悪いし、何よりも、次に婿に入ろうという者も怖気づいて縁遠くなる、と縁談を取り持った義兄から諭されても、希以は言う。「覚悟の前」と。この離縁騒動ののち、希以は大浦屋を継いだ。義兄が案じたとおり、その後はろくな縁談もこないままだが、希以の心には微塵の悔いもなかった。