店頭に柿や梨、さつま芋など「秋の味覚」が並ぶ季節になりました。
いろいろある「秋の味覚」のなかでも、その代名詞ともいえるのが「さんま」でしょう。こんがりした焼き色にジュワッとにじみ出す脂(あぶら)、香ばしい匂い。そんな炭火焼きのさんまが無料でふるまわれる「目黒のさんままつり」は秋の風物詩ですが、これは古典落語「目黒のさんま」にちなんだ催し。今回は、この有名な古典落語「目黒のさんま」をご紹介しましょう。
目黒へ遠乗りに出かけた殿様御一行
秋晴れの日に、目黒方面へ遠乗りに出かけたある大名の殿様。気まぐれに出かけたはいいものの、ふだん馬に乗りつけていないため、目黒に着いた頃にはだらしなく馬から下りることになってしまいます。さらに、家来の前では見栄を張らなければならず、到着した段階ですでにくたくた状態……。
そうして昼時、弁当を求める殿に家来はこう言います。
「遠乗りが火急だったため、弁当の用意をしておりませぬ」。
ここで殿がひと言「どうして弁当をもってこないのだ」と文句を言えば、家来の誰かが責めを負うことになります。幼い頃から「理にかなわぬことは申してはあいならん」と教育されてきた殿は、
「おう、さようか」と言ったものの、空腹はどうにもごまかしようもなく、それは家来も同じこと。澄みきった秋の空を鳶(とび)がピーッと鳴きながら飛んでいます。
「あの鳶は弁当を食したであろうか」と殿。その姿を「おいたわしい」見つめる家来たち。
そこへ……。
さんまは「下司魚」で「下民」の食べるもの
近くの農家が旬のさんまを焼く匂いが、殿様の鼻先へとただよってきます。空腹のところへ、腸(はらわた)にしみるこの匂い。殿も黙っていられません。
「……この異(い)なる匂いはなんだ?」
「……恐れながら、百姓家にて焼きおりますさんまにございます」
家来は、さんまが「下司魚(げすうお)」であり、「下民(げみん)」の食べるもの、殿の口に合うようなものではないと説明するものの、殿様は聞き入れません。
「苦しゅうない、さんまをこれへ持参いたせ、目通り許す……」
家来もいたし方なく匂いを頼りにさんまを焼く農家をさがし当て、農家の主と交渉。縁(ふち)の欠けた皿に焼きたての五、六本のさんまに大根おろしを添え、醤油をちょっとかけて殿様に差し出します。
それを見た殿様は驚きます。魚というものは、すべからく平べったくて真っ赤なもの(=鯛)だと思っていたからです。しかし、そこで見たものは真っ黒で細長く、チュプチュプと脂肪がたぎっています。
「これは奇(き)な形をしておる。食して大事ないか?」
いざとなると殿も不安になります。
「はぁ、殿……天下の美味でございます」
「これは天下の美味?……さようか……」
こわごわ、ひと口食べてみたところ
「これは美味なものである。代わりを持て、代わりを持て……」
殿様は五、六本をまたたく間に平らげてしまいました。
「あぁ、美味であった。……そのほうどもには骨をつかわす」
「……ありがたき仕合わせにござります」
ご満悦の殿でした。
有名なオチ ──「さんまは目黒にかぎる」
さんまに大満足した殿ですが、家来はそれで安堵したわけではありません。
「お屋敷へお立ち帰りののち、ここでさんまを食したということは、ご内聞に願います」
「下民」の食べる「下司魚」であるさんまを殿が食したとなれば、それは家来の落ち度となり、大事にもなりかねません。
「……そのほうどもに迷惑になること、余は口外いたさん」
「ありがたき仕合わせ……」
殿はわがままでも素直。子どものような憎めないキャラクターですね。
さて、殿が帰ってくると、食膳に出てくるのは相も変わらず平べったくて赤い鯛。それを見るたび、殿はさんまを思い出してしまいます。秋晴れの空の下、空腹極まったところへ焼きたてのさんまをむさぼるように食べたのですから、その味の格別だったことはいうまでもありません。
しかし、目黒でさんまを食べたことは、決して口外してはいけないという取り決めなので、そこはぐっとこらえます。ところがこらえればこらえるほど、想いはつのるもの。食べたいのに食べられない! そのつらさといったら……!
そんなある日、殿は親戚へ客として呼ばれ、好みの料理を聞かれます。迷わずさんまを所望した殿、驚いた台所方は早馬で日本橋の魚河岸へ仕入れに向かいます。
魚河岸に並んでいたのは、極上のさんま。しかし、このような脂の乗った魚をお出しして何かあったら一大事と思い、蒸して脂を落とし、小骨も一本一本あますことなく毛抜きで抜いて、形がくずれたものをつみれのようにして吸い物にし、御前に出したところ、
「……これは、さんまか?」
目黒で食したさんまとは似ても似つかない姿に、殿は当惑します。
「御意……さんまでございます」
「さようか、どれどれ……」
吸い物として碗に浮かんださんまは、かすかにさんまの匂いはするものの、脂肪が抜けてぱさぱさで、おいしいはずがありません。期待が大きかっただけに、殿の失望も大きかったことでしょう。
「……これこれ、このさんま、いずかたより取り寄せたのじゃ?」
「日本橋の魚河岸でございます」
「あぁ、それはいかん。さんまは目黒にかぎる」
さんまは「秋のごちそう」
海とは無縁の目黒なのに、どうして「目黒のさんま」なのか、その理由がおわかりいただけたことでしょう。これは、世俗にうとい殿様を風刺する噺(はなし)でもありますね。
さて、この落語にちなんだ催し、「目黒のさんままつり」はJR目黒駅がある目黒区と品川区で毎年、それぞれ開かれています。目黒区(目黒駅より徒歩約10分、田道広場公園)は今年9月15日に43回目、品川区(目黒駅前商店街、JR目黒駅東口)は9月8日に24回目を迎えました。
ご存じのように、今年のさんまは不漁の傾向にあるため、開催に難しい問題はあったものの、どちらも大盛況のなか無事に終了しました。「さんまがなくなり次第終了……」ということもあって、数時間待ちの長蛇の列は必至の秋の人気イベントですが、参加者の多くが、並んででも食べたい理由はどこにあるのでしょうか。
それはきっと行列に並んだ末に、焼き台にのったさんまを手渡しでようやく受け取り、大勢でともに味わう雰囲気にあるといえます。焼き立てアツアツのさんまをふうふう言いながら、その美味しさを多くの人と共有することこそ、「目黒のさんま」のだいご味ではないでしょうか?
秋の定番の代表選手のさんま。大根おろしにかぼすやすだちを添え、「秋のごちそう」としていただきたいものですね。
参照資料/「落語百選(秋)」ちくま文庫