片側三車線に拡幅された外濠通り。かつての都電通りの面影もない。背景の建物は全て建て替えられ、無機質なオフィスビル街に変貌している(撮影/諸河久:2019年6月11日)
片側三車線に拡幅された外濠通り。かつての都電通りの面影もない。背景の建物は全て建て替えられ、無機質なオフィスビル街に変貌している(撮影/諸河久:2019年6月11日)

 さらに左側に、飯田濠と呼ばれた江戸城外濠があり、飯田橋の先で大曲から流れてくる神田川と合流していた。江戸期から明治期にかけて、この飯田濠界隈は水運の要衝として大いに栄えた。ことに石材、材木、酒、油樽など、陸路では運べない物資を飯田濠北岸の神楽河岸(飯田河岸とも呼ばれる)から陸揚げしていた。この由来から当地は「揚場町(あげばちょう)」と名付けられ、今も町名は存続している。

 都電の背後に見える土蔵は江戸時代から続く酒問屋「升本総本店」で、都内に残る数少ない土蔵の一つとして知られていた。近隣には燃料店や油問屋も盛業しており、水運が盛んだった時代を彷彿とさせてくれた。
 
 飯田橋交差点から都電の轍音が消えたのは、御茶ノ水線・角筈線を走る13系統が廃止された1970年3月だった。

 先日、廃止から半世紀を経た現在の飯田橋を訪ねた。交差点には当時よりもかさ上げされた歩道橋が構築されていた。水を湛えていた飯田濠は暗渠(あんきょ)になり、その上には高層の商業施設が聳えている。外濠通りは六車線に拡幅され、かつての停留所跡は見当もつかない。筆者が記録した映画館や土蔵がある「神楽河岸の街並み」は、こっぱみじんに霧散していた。

■撮影:1968年9月28日

◯諸河 久(もろかわ・ひさし)
1947年生まれ。東京都出身。写真家。日本大学経済学部、東京写真専門学院(現・東京ビジュアルアーツ)卒業。鉄道雑誌のスタッフを経てフリーカメラマンに。「諸河 久フォト・オフィス」を主宰。公益社団法人「日本写真家協会」会員、「桜門鉄遊会」代表幹事。著書に「都電の消えた街」(大正出版)「モノクロームの東京都電」(イカロス出版)などがあり、2018年12月に「モノクロームの私鉄原風景」(交通新聞社)を上梓した。

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