昨年転居した自宅の庭で。日焼けした肌に白いワンピースが映える。ぱっと花が咲いたようなオーラがある(撮影/熊谷晃)
<br />
昨年転居した自宅の庭で。日焼けした肌に白いワンピースが映える。ぱっと花が咲いたようなオーラがある(撮影/熊谷晃)
この記事の写真をすべて見る

※本記事のURLは「AERA dot.メルマガ」会員限定でお送りしております。SNSなどへの公開はお控えください。

 ハワイのオアフ島で不動産業を営む。ハワイ州不動産セールスでは約6千人のエージェントのうち、過去12年連続トップ10にランクインした。成功だけの人生ではない。70歳を前に、昨年2度目の離婚もした。やりたいことも、なりたい自分もあきらめない。日本から旅立つとき、空港で「I’m free」と思ったあの日から。(文/秋山訓子)

*  *  *

「女性の皆さん、私たちはこれまで良き妻、良き母であることを期待されてきました。しかし、私たちは自分自身の夢を追うべきです。そして『私にはそれが出来る、やる権利がある』と言うべきなのです」

 2019年1月。米ゴールデングローブ賞授賞式で、主演女優賞を受賞したグレン・クローズのスピーチをテレビで見ながら、サチ・ブレーデン(69)は涙が止まらなかった。
 ハワイ・オアフ島で不動産会社「サチハワイ・パシフィックセンチュリー・プロパティーズ」を創業して16年。17年のハワイ州不動産業者売り上げでオアフ島2位、今や押しも押されもせぬトップリアルターの彼女の胸を去来するものは何だったのか。

 1949年、大阪市で「阪口幸代」として3人姉弟の長女として生まれる。御堂筋に近い、阿倍野区西田辺で育った。父・計三はシャープのエンジニアを経て独立、空調設備の会社を起こして手広く商売をしていた。日本が急速に第2次大戦から復興していく時代だ。「地下鉄御堂筋線の穴を掘って工事していたのをよく覚えてる」

 弟2人を従えて、小さい頃から物怖じせず、勝ち気な少女だった。幼稚園の発表会で選ばれ、舞台で一人角兵衛獅子(かくべえじし)を踊った。「上から見たらみんなの頭が小石みたいだった」と母・悦子に報告した。

 小中学校時代はハリウッド映画全盛期だ。映画はジェームス・ディーンやキム・ノヴァク。テレビドラマは「パパは何でも知っている」に「サンセット77」。1ドル=360円の時代。そこには豊かなアメリカンライフがあった。同級生は「さっかん(当時の愛称)は、アメリカかぶれだった(笑)」。

「おませな友達がキネマ旬報を見ていて、影響されて。グラビアを見て映画を見に行って、こんな世界、どんなだろう。行ってみたい、って」

●パンナム航空のCAに世界を回る路線に乗った

 海外へのあこがれが芽生え、NHKのラジオ英会話を聞きはじめ、FEN(米軍の極東放送)の電波を受信するために家中に針金をはりめぐらした。英語を勉強したくて、高校はミッション系のプール学院に。とにかく英語が上達するためにと外国人の英語教師に「Can I come and talk with you after school?(放課後に話しにきていいですか?)」と頼み込んで、毎週通った。

 系列の短大に進み、さらに英語に磨きをかけるため、東京の4年制大学に編入しようと思っていたら、愛読していたジャパンタイムズで大阪万博のコンパニオン募集の広告を見つける。エジプトの担当となり、働いている最中にキャセイパシフィック航空とパンアメリカン航空(パンナム)のキャビンアテンダントの募集広告を見て応募して両方受かる。

 父は大反対した。同級生の大半は短大卒業の時には結婚が決まっていた。就職する同級生のほうがはるかに少数派で、彼女も両親の強い勧めで見合いをした。

次のページ