自宅のリビングで、友人の照子・ルーイン(左から2人目)、ユリコ・イルカ(左端)、社員の松田萌(右端)と。こんなふうに友人や顧客を呼んでもてなすことも多い(撮影/熊谷晃)
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自宅のリビングで、友人の照子・ルーイン(左から2人目)、ユリコ・イルカ(左端)、社員の松田萌(右端)と。こんなふうに友人や顧客を呼んでもてなすことも多い(撮影/熊谷晃)

「ランチも休憩時間も分厚い不動産のテキストを読んでいて、あっという間に試験に受かった」

 実際、不動産会社に転職すると「自由どころか、すごく大変。私、何も知らなかったし」。

 だが、努力すればするほど結果が出る営業の仕事は性分に合っていた。ぐんぐん売り上げを伸ばしていく。やがて自らの会社「サチハワイ」を創業。

「やればやるほどもうかるのが新鮮で。大阪人だからもうかるのが好きなの(笑)。どこに行っても、何をしても勉強じゃない?」

 知り合いを増やすため、パーティーに出かけてはどんどん話しかける。

「You don’t know me. But I know you very well. Can I talk two minutes?(あなたは私をご存じないでしょうけれど、私はあなたをよく知っています。2分話させてもらっていいですか)。冷たくされたっていいの、気にしない」

●不動産会社でトップ営業最高25億円の物件を売る

 日本に売り込みの電話をするときには綿密な脚本を作る。物件を説明するときにも、どういう表現が印象に残るかとことん考える。寝室がオーシャンビューなら「社長、目が覚めた時に海がたっぷり見られるんですよ」。

 オフィスで午前2時まで残業すると、日本は午後9時。「帰る前にもう一本だけ電話しよう、って決めてた」。携帯電話もない頃、自宅に電話すると奥さんが出て「主人は9時に帰ってきます」と言われることが多かったからだ。

「私の机の上はいつも片付かなかった。片付ける暇があったら電話した方がプロダクティブだと思っていたから」

 トップ営業になったのにはちゃんと理由がある。小さな努力の積み重ねは、今も怠らない。売り出し中の家の前に立てる看板広告には、必ず自分の顔写真を載せる。看板の置き方も、どの角度からも見やすいように工夫する。看板も、時々わざと期日を過ぎてもそのままにしておいた。

「言われたら撤去すればいい。だって、とにかく私の顔と名前を知ってもらわなきゃ。みんな同じことをするんだから、そこを1歩、さらにもう1歩先に出ないと」

 彼女の売り先には明確な特徴がある。1件あたりの金額が大きいのだ。つまり、顧客に富裕層が多い。1件数億円は当たり前、最高で25億円の物件を売ったことがある。それだけ効率が良いともいえるが、お金持ちに買ってもらうためには相応の努力がいる。

 中小企業のオーナーや創業者、そういう手ごわい顧客が口をそろえるのは「彼女は正直」ということだ。たとえば、牛丼チェーン「松屋」の創業者である瓦葺(かわらぶき)利夫(77)も、彼女からハワイの別荘を購入した。

「裏表がなくて、後のつじつま合わせがないんですね。オープンですきっとしている。物件を見せてもらった時にすぐ気に入って、『よそにとられちゃうと困るから私が買う』と言ったら『安い買い物じゃないし、日本に帰ってからゆっくり決めてください』と言われた」

 顧客には日本人だけではなく、米国人も多い。日本出身の不動産業者は日本人相手の商売に安住してしまう人も多いが、彼女はそうではない。常に「1歩、さらにもう1歩」と進み続ける。

「私が成功できたのはアメリカだからだと思う。日本は人を器に押し込めようとするでしょう? あなたは新米だから、とか、あなたは女性だから、とか。でもこちらだとそうじゃないし、常にドアは開いている。そこに私は『アイムサチ・ブレーデン』ってゴンゴン入っていくの(笑)」

 この間、米国人の弁護士と結婚。美男美女のカップルで二人とも成功を収め、ワイキキビーチ沿いのコンドミニアムに住み、公私ともに最高の暮らし、とはた目には映っていたのだが……。

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