今でも海でよく泳ぐ。「海には、プールにはない特別な力がある」。泳げるようになったのは40歳を過ぎてからだ(撮影/熊谷晃)
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今でも海でよく泳ぐ。「海には、プールにはない特別な力がある」。泳げるようになったのは40歳を過ぎてからだ(撮影/熊谷晃)

 今またハワイではワイキキ近郊に新たな宅地造成が進み、一種の不動産ブームだ。

「もう一稼ぎしたいな。人にものを売るためには心が高揚してエキサイトして、自分が健康で、確信していないと。でないと馬力が出ない」

 その言葉通り、離婚の話になって表情が曇り、まだ立ち直っていないように見えても、顧客から電話がかかってくると、ぴんと姿勢が伸びる。

「はい、サチです! お世話になってます!」

 ハリのある太い声になり、表情が変わって生き生きと目が輝き出す。

「私、何度か違う人生を生きてきた気がする」

 1歩、さらにもう1歩。グレン・クローズのスピーチのように「自分自身の夢を追って」これから進む道は、アメリカと日本の境を自由に越えて生きてきた彼女の何度目の人生なのだろう。(文中敬称略)

■サチ・ブレーデン(さち・ぶれーでん)
1949年/「阪口幸代」として大阪市阿倍野区で生まれる。家には「ジェーン・エア」「赤毛のアン」など子ども用の海外文学全集があった。
70年/プール学院短期大学を卒業。 大阪万博でコンパニオンになる。同年、キャセイパシフィック航空のキャビンアテンダントに。
71年/パンナム航空へ。「面接で『What does your father do?』って聞かれて『東芝の空調の会社の社長』って言おうとして、空調って英語で何て言うかわからなくてとっさに『president of Toshiba』って答えちゃった。あれで受かったのかも(笑)」。研修ではつけまつ毛のつけ方の練習もあった。1ドル=360円の時代、初任給は1千ドルだった。ハワイに住み始める。
74年/パンナムの上司の米国人と結婚
79年/長男、泰三を出産。
80年/夫の転勤に伴いラスベガスに転居。
81年/退職。
82年/夫の香港総支配人就任に伴い転居。リパルスベイのお手伝い付きメゾネットに住み、ドレスはシルクで仕立てる優雅な日々。夫は運転手付きの超高級車のベントレーに乗っていた。
85年/再びハワイに転居。
88年/離婚。ブレーデンという夫の姓は変えず。「息子と一緒が良かったから」。ホノルルのシャネルブティックで働き始めるも、不動産営業の免許を取り、不動産会社に転職。「最初の1、2年で我慢しきれずに干上がっちゃう人が多いのよね」。転職して最初の頃は「お客さんからもらったバナナを『今日はバナナを晩のおかずにしようか』って言ったこともあったな。もちろん半分冗談だけど」。
92年/大手の不動産会社に移り、数年で売り上げナンバー1となる。
93年/米国人の弁護士と再婚。
97年/アメリカの市民権を得る。「仕事のためにも、市民権を得たほうがいろいろな保障が得られるから。息子も市民権があったし。でも人としての核の部分は日本人だと思ってる」
2003年/サチハワイ・パシフィックセンチュリー・プロパティーズを創業。ハワイの不動産業者売り上げランキングの常連となる。いま同社は27人の不動産エージェントを抱える。
06年/父が亡くなる。「『お前、お金はあるか?』ってよく聞かれた。それが父の愛情表現だったのね」
17年/ハワイ州不動産業者の売り上げでオアフ島ベスト2となる。
18年/母が亡くなる。「サチハワイ」を日本の東証1部上場の不動産会社オープンハウスグループに売却。離婚。高級住宅地カハラ地区に自宅を購入し、転居。

■秋山訓子1968年、東京生まれ。政治や市民社会担当の朝日新聞編集委員。近著に『不思議の国会・政界用語ノート』(さくら舎)、『女は「政治」に向かないの?』(講談社)。本欄では「小渕優子」を執筆。

※AERA 2019年4月1日号

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