元朝日新聞記者 稲垣えみ子
元朝日新聞記者 稲垣えみ子

 元朝日新聞記者でアフロヘア-がトレードマークの稲垣えみ子さんが「AERA」で連載する「アフロ画報」をお届けします。50歳を過ぎ、思い切って早期退職。新たな生活へと飛び出した日々に起こる出来事から、人とのふれあい、思い出などをつづります。

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 我が国の原発政策が、結局、あの大事故の前の状態まで、まるで何事もなかったかのように戻ってしまった。

 多くの暮らしを根こそぎ奪い、かけがえのない郷土に誰にもどうすることもできない汚染を残したあのトテツモナイ事故の教訓から、真剣に「原発依存からの脱却」が模索された時もあったのだ。エネルギー危機を背にした政府の変節をなじる声もあるが、結局のところ変われなかったのは我ら自身である。原発がなければやっぱり不便、背に腹は代えられないと多くの人が心のどこかで思っているからこそ、政府はこのような決定をしたのだと思う。

 でも、きっと誰もが知っている。

 この先に明るい未来など待っていない。戦争だの異常気象だの疫病だの誰も予期できなかったことがフツーに起きまくる時代に「我が国の原発だけは安心安全」なんてあるはずもない。それでも今の快適な生活を続けるには、事故のリスクも、日々の発電が生み出す危険なゴミの行き場が未だナシという冗談みたいな問題も、ま、目を瞑るしかないよネ、自分が生きてる間はなんとかなるっしょ、というだけのことだ。将来世代の犠牲に目を瞑って目の前の果実(らしきもの)を取ったのだ。そのことに、どこか後ろ暗い気持ちを持たない人はいないんじゃないだろうか。

正月休み、近所のおばあちゃんに頂いたお庭の柚子で「ゆべし」製作。大人の遊び(写真:本人提供)
正月休み、近所のおばあちゃんに頂いたお庭の柚子で「ゆべし」製作。大人の遊び(写真:本人提供)

 変わる、ということの難しさを思う。

 この状況を変えようと思えば、みんなが変わらなきゃいけない。今当たり前に享受している暮らしを根底から見直し、価値観も変えなきゃいけない。それが「痛み」なのかについて言えば実はそんなことないというのが私の経験だが、私とて様々な事情に迫られたまたま変われたにすぎない。未知の世界へ踏み出すには少なからぬエネルギーとクレイジーな勇気を必要とする。その力が、今の我々にはなかったのである。我らの国力はその程度だったのだ。

 まあ考えてみれば当然である。そんな簡単に物事進みゃしない。私もまだまだ変わらなきゃである。

◎稲垣えみ子(いながき・えみこ)/1965年生まれ。元朝日新聞記者。超節電生活。近著2冊『アフロえみ子の四季の食卓』(マガジンハウス)、『人生はどこでもドア リヨンの14日間』(東洋経済新報社)を刊行

AERA 2023年1月16日号

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稲垣えみ子

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稲垣えみ子(いながき・えみこ)/1965年生まれ。元朝日新聞記者。超節電生活。近著2冊『アフロえみ子の四季の食卓』(マガジンハウス)、『人生はどこでもドア リヨンの14日間』(東洋経済新報社)を刊行

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