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この本のもととなっている連載(2017年6月号から2018年7月号にかけて『一冊の本』<朝日新聞出版>に連載された「おしつけ地方論 『東京の幻想』が日本を悪くする」)を書き進める上で、個々のテーマとは別に考えていたのは、なぜ、このような「おしつけ地方論」が必要とされるのかということであった。
結論から先に述べると、それは、大都市に住んでいる人々の「清涼剤」として消費されている。つまり、グローバライゼーションのもたらした社会の変動が耐え難いと思っている人々が「現実逃避」する場所として、地方が眼差されているのである。
大都市に住む人は、「現実から逃れるためのファンタジーと割り切れば問題ない」と言うかもしれない。しかし私は、「おしつけ地方論」にはふたつの問題があると考えている。
ひとつめは、そう考えることで現実の地方の問題が忘れ去られる危険性があるという点である。「見たいものしか見ない」という人間の心理(「認知的整合化」と言う)を考えると、「清涼剤」としての「おしつけ地方論」がリアルな地方の現実を押し退け、人々の支配的な地方観として広まっていきやすいことは想像に難くない。
ふたつめは、それが社会政策に影響を与える危険性があるという点である。社会政策は、ある一定の社会イメージを目指してつくられるものである(そのことは一定の家族イメージを目指してつくられる家族政策について考えると分かりやすいだろう)。「おしつけ地方論」で語られるような現実と乖離したイメージを念頭に社会政策がつくられることは地方社会にとってマイナスになりかねないし、現在行われている現実に即した様々な取り組み(この本では地方におけるこれまでと違う公共性=「新しい公共」の形成のための取り組みを高く評価している)の阻害要因になりかねない。
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以上、簡単にこの本の紹介をしてきたが、筆者としてはなるべく多くの人にこの本を手にとってもらい、地方のリアルについて考えてもらうきっかけになればと願っている。