地方で調査をしていると、格差の拡大や貧困の増大、コミュニティの衰退といった、グローバライゼーションのもたらす社会の変化がそのまま調査結果にあらわれており、地方こそグローバライゼーションの最前線(フロンティア)であると言いたくなるが、メディア等で出回っている地方のイメージはその逆、地方こそグローバライゼーションからの避難所(シェルター)であるということを強調するものが多く、そのギャップを埋めなければならないというのが、この本を書く際の最も大きな動機であった。
この本は、後者のような地方に関する表象を「おしつけ地方論」と名づけ、批判した。
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「おしつけ地方論」にはふたつのパターンがある。ひとつめは、地方にはそもそもグローバライゼーションの影響などないとする表象(例えば、地方社会の伝統を強調することで、そこではコミュニティの衰退など起きていないとする類の表象)、ふたつめは、そうした影響があったとしても、地方の人はそれを気にせずに生活しているとする表象(例えば、貧困は広がっているが、地方の若者は仲間同士で助け合って幸せに暮らしているとする類の表象)である。分かりやすいところで言うと、前者は、『田舎に泊まろう!』のような旅番組を、後者は、マイルドヤンキー(貧しいながら地方でまったり暮らす、「マイルド」なヤンキーたちのこと)をめぐる様々な言説を思い起こしてもらえると、理解しやすいだろう。
こうした「おしつけ地方論」に、地方のリアルを掬い取った「対抗表象」を対置し、テーマごとにその問題点を指摘していくというのが、この本の進め方である。たとえば、「格差の拡大」というテーマに関しては、「おしつけ地方論」として、最新の「マイルドヤンキー」ドラマである『HIGH & LOW』を紹介した上で(それは、この本のタイトルにもなっている「地方ならお金がなくても幸せでしょ」というタイプの「おしつけ地方論」である)、それとは異なる地方観を提示する「対抗表象」として吉田修一の小説を映画化した『悪人』を対置し(この作品は、地方の若者たちの階層格差をめぐる軋轢を描いている)、現実の地方で起きている格差の拡大のもたらす問題を論じた。