姜尚中(カン・サンジュン)/東京大学名誉教授・熊本県立劇場館長兼理事長。専攻は政治学、政治思想史
姜尚中(カン・サンジュン)/東京大学名誉教授・熊本県立劇場館長兼理事長。専攻は政治学、政治思想史
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 政治学者の姜尚中さんの「AERA」巻頭エッセイ「eyes」をお届けします。時事問題に、政治学的視点からアプローチします。

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 昨年は冷戦崩壊から30年でしたが、今年は「『冷戦以後』の以後」の始まりの年であり、100年前の時代と似た世界へと向かうのではないかと予測しています。こうしたことを思ったのは、アジア地域とその歴史研究を代表する編集委員たちの叡智を結集した『アジア人物史』(全12巻)の総監修の作業を通じてでした。100年、200年の歴史というマクロヒストリーの視座から現在の流動化する世界を見ると、「なぜこんなことが起きるのか」という問いへの手がかりが見えてくるのです。

 具体的には、第1次世界大戦を画期として形作られた20世紀的世界が、時を経て崩れつつあるということです。第1次世界大戦後の世界をリードしたのは、米ウィルソン大統領の「民族自決権」で、それがロシアやオスマントルコ、ハプスブルクという三つの帝国の崩壊に繋がり、現在のウクライナ危機を含めた東欧諸国の民族問題の原因になっています。そしてロシアの現在の苦境も大戦から生まれたロシア革命を抜きには語り得ません。

 さらに、その後の冷戦時代の二極化された世界があったとはいえ、資本主義的世界システムの中で米国が一極的なヘゲモニーを行使し、アメリカニズムの時代が始まりました。そして今、そのヘゲモニーに中国が挑戦し、中東や中南米、東南アジアなど、いくつかのゾーニングされた地域が相対的に独自のプレゼンスを持ち、世界は多極化(マルチポラー)しつつあります。それは先の『アジア人物史』の第7、8巻で展開されているような清朝やムガール帝国、オスマントルコ帝国、イランのサファヴィー朝などの帝国が割拠し、世界のGDP(国内総生産)の6割以上を占めていたアーリーモダンの時代に近づいていくことを意味しています。

 こうしたマクロヒストリーで見ると、覇権の流動化と多極化が進みつつある世界の中で長期的な波動への見通しを欠いたまま、やみくもに現状維持に走る超大国との同盟だけに安全保障の拠り所を求めたり、防衛力という軍事力の増強にしがみつくだけでいいのかが問われます。流動化と多極化を見据えた複眼的な安全保障の戦略が日本に求められているはずです。

◎姜尚中(カン・サンジュン)/1950年本市生まれ。早稲田大学大学院政治学研究科博士課程修了後、東京大学大学院情報学環・学際情報学府教授などを経て、現在東京大学名誉教授・熊本県立劇場館長兼理事長。専攻は政治学、政治思想史。テレビ・新聞・雑誌などで幅広く活躍

AERA 2022年12月26日号