高見澤俊彦『音叉』。THE ALFEEのリーダーの初の小説である。自伝的小説ではないが、バンドが主役の小説ではある。
物語の舞台は1973~74年の東京。「俺」こと風間雅彦は系列高校からエスカレーター式に進んだ聖マリアンヌ学院大学の1年生。高校時代の同級生の啓太、義之、美津夫と組んだバンドがアマチュアロックコンテストで認められ、プロデビューが決まっていた。ところがデビュー話は最初から波乱含み。レコード会社のディレクター瀬川に、バンド名を変えろと命じられ、デビュー曲のリードヴォーカルは長身でルックスのいい美津夫にやらせろといわれ、おまけに自信があった作詞まで雅彦以外に任せろといわれてしまう。
全身を襲う脱力感。<叩いても音叉はもう鳴らない……。/怒りはない……静かに冷めきった失望感が心を浸食し始めていた>
こんな調子でデビューは難航し、メンバーのひとりが病に倒れるというバンド存亡の危機まで訪れるのだが……。
作品としての出来は、でも微妙かな。当時人気があったロックバンドのヒット曲や原宿や渋谷の懐かしい店の名前も出てくるし、70年代の青春を描こうとしたのはわかるんだ。ただ、作中の瀬川ディレクターにならっていうなら、中途半端なんだよね何もかも。
バンドのメンバーのキャラはいまいち立っていないし、渋谷暴動事件(71年)や三菱重工ビル爆破事件(74年)の描き方も微妙。革命思想にかぶれたガールフレンドの人物像もちょっと微妙だ。
それと<俺の人生、女性に振り回されっぱなしだ>とかいっちゃって、主人公は女子にモテすぎである。<やがて二つの体は共鳴しながら、ゆっくりとピアニシモからフォルテシモへと響子の吐息に導かれるように、高みに昇って行った>なんて渡辺淳一みたいな表現もどうなんですか。
友情も恋愛も音楽も社会も風俗もと欲張りすぎた結果かも。下手に社会情勢などは織り込まず、徹底して音楽寄りの自伝的小説にしたほうがよかった気がする。
※週刊朝日 2018年9月7日号