芸能ゴシップもここまで踏み込めばおもしろい。細田昌志『ミュージシャンはなぜ糟糠の妻を捨てるのか?』。世に出た後、無名時代を支えた妻を捨てるのはミュージシャンだけじゃないもんね。作家とかにもいるもんね。

 本書が取り上げるのは5人の著名なミュージシャン。本人の自伝や週刊誌の記事などを探索し、なぜ彼らが、結婚不倫離婚→再婚に及んだかを分析する。

 芸能人を目指す者が〈いつかは、芸能人と付き合いたい。芸能人と結婚したい〉と思うのは突飛ではないと著者はいうのである。

 ここに同業者同士の「パートナー志向」が加われば、もはや決定的。インディーズ時代のファンだった女性と離婚して、PUFFYの大貫亜美と再婚したGLAYのTERUはその典型という。

 しかし、みんながそうではない。極貧時代に自分より著名なミュージシャンだった山下久美子と結婚した布袋寅泰は、妻の友人だった今井美樹と再婚したが、その後も彼は浮気を繰り返している。レコード会社の敏腕プロモーターである妻と離婚し、元「ギリギリガールズ」の吉野美佳と結婚したミスチルの桜井和寿は〈有能な妻からの巣立ち〉を試みたのではないか。3度の結婚と1度の事実婚をした小室哲哉は最初売れないアイドルと結婚したが、彼女が音楽への情熱を失ったため華原朋美に乗り換えたのではないか。

〈彼らの存在は、女性の書き手にかかると、それはもう無惨な扱いとなる〉と彼は訴える。〈女を裏切った恩知らず〉にされて〈後には残骸すら残らない〉。だが、〈彼らなりの苦悩だって間違いなくあったはずだ〉。そらそうだ。

 実際、愛情を失った相手と仮面夫婦を続けるよりは別れたほうが誠実だろう。ただ、〈芸能人同士のカップルの片割れになりたい気持ちを、誰が責められようか〉ってのは軽薄すぎない? そういうチャラけた心根が嫌われるんとちゃう? その点、糟糠の妻から別の糟糠の妻に乗り換えた矢沢永吉はチャラけてはいない。しかし、女に甘えてるとはいえるよね。

週刊朝日  2017年12月15日号