11月の第3木曜日はボージョレ・ヌーヴォの解禁日。バブルのころはカウントダウンや成田空港まで出かけて乾杯する人がいた。今となっては恥ずかしい思い出だ。
ワインもウイスキーも、現代の日本人にとって欠かせない飲み物となった。しかし、ここに至る道は、けっして平坦ではなかった。
伊集院静の『琥珀の夢』は、サントリーの創業者、鳥井信治郎の生涯を描いた長編小説である。彼の人生は洋酒文化を日本に定着させることに捧げられた。鳥井がいなければ、ボージョレ・ヌーヴォも定着しなかったに違いない。
口癖「やってみなはれ」に象徴される鳥井の人柄や人生も面白いが、それ以上に興味深いのは近代日本人の急激な変化である。
鳥井が明治40年に発売した赤玉ポートワインは、本物のワインではなかった。砂糖や薬草を入れた甘味果実酒だった。だがそれは、本物を知らない日本人を騙すためのものではなかった。つい最近まで日本酒しか知らなかった人びとに受け入れられるための創意工夫だった。
鳥井が本格的ウイスキーの生産を目ざし、大阪と京都の境にある山崎に蒸溜所を建てたのは大正13年のこと。現代のぼくらは「ふーん」と思うだけだが、ウイスキーは樽の中で5年も10年も熟成させなければならない。言い換えれば、5年も10年もお金にならない。何という蛮勇。しかし当初は売れなかった。
売るために広告宣伝の力をフルに活用し、軍部にも食い込んだ。昨日まで「鬼畜米英」と叫んでいたのに、戦争に負けるとすぐ進駐軍に取り入る臆面のなさ。鳥井信治郎は典型的日本人である。
※週刊朝日 2017年11月24日号