「デフレ世代」という言葉がある。1980年代後半以降に生まれ、物心がついたときには、物価や賃金が上がらず、むしろ下がっていく状況が日常だったという、いま30代前半までの世代である。各種調査によれば、この世代は、見栄のために高価なものを買ったりすることはなく、必要かつ自分が納得したものだけにお金を使う。安定志向が強く、終身雇用を好む傾向にあるという。
デフレーション(デフレ)とは、物価が持続的に下がり続け、一国の経済規模を示す「名目国内総生産(GDP)」が増えないか、あるいは縮んでいく現象を指す。
デフレの弊害は、わかりにくい。モノやサービスが安くなるのだから、一見、良いことのようにも思える。デフレが始まった1998年ごろ、「良いデフレもある」という議論もたびたび見かけたが、実際はそうではない。例えば、牛丼の値段が安くなれば、その裏には牛丼店の従業員の賃金抑制が伴い、従業員は消費を控えるようになるだろう。全体としてみれば、経済活動はどんどんしぼんでしまう。
やっかいなのは、こうした「デフレマインド(縮み思考)」は、いったん根付くとなかなか消えないという点だ。「デフレ世代」はその申し子とも言える。その結果、日本経済の低迷は「失われた20年」と呼ばれるまで長期化した。
政治や日銀は、デフレとどう向き合ってきたのか――。本書では、金融政策を中心に、この20年の政策決定のプロセスを検証しようと試みた。
バブル崩壊後の主役は、財政出動であった。政府は大規模な公共事業を打ち、消費を喚起するために減税した。だが、効果は一時的なものにとどまり、逆に返済不可能なほどの大量の借金が残された。
財政政策が手詰まりとなるなかで、政治家の間に、ある考え方が広まった。それが、日銀の不適切な金融政策がデフレを招き、抜け出せなくさせている元凶だという「金融政策主犯論」である。
金融政策は、1998年4月に新日銀法が施行されて以降、日銀の最高意思決定機関である「政策委員会」の専門家たちが、多数決で決定するという仕組みになった。日銀は政府・与党の影響を受けずに、決められるはずだった。
しかし、日銀は次第に追い詰められていく。2008年のリーマン・ショック後、1ドル=80円台の超円高が続き、日本企業から悲鳴が上がっていた。政界には、円高是正に動かない日銀への不満がたまり、「金融政策主犯論」は与野党を超えて広がった。
そのクライマックスが2012年12月16日の総選挙である。野党第一党である自由民主党の安倍晋三総裁は、「デフレ脱却」と「金融政策の転換」を最上位の公約に掲げ、日銀総裁と論争を繰り広げる異例の展開をたどった。結果は安倍・自民党の圧勝だった。日銀は、デフレマインドを払拭(ふっしょく)するため、物価上昇率2%という目標を掲げる「インフレーション・ターゲティング(インフレ目標)政策」と、日銀が大量に国債を買い取る「異次元の金融緩和」を受け入れた。
この試みは当初はうまくいっているように見えた。だが、5年目を迎えたいま、物価上昇率は1%以下をさまよい、デフレ脱却を宣言できる見通しは立っていない。
いまは、むしろ副作用が心配されている。日銀はすでに長期国債発行残高の約4割を保有している。これほどの規模の金融緩和を試した先進国はない。大量の国債購入をいつやめられるのか、この先、どんな結末が待っているのか、誰にもわからない。
本書の目的は、政策が誰の手により提唱され、どのような力学で決められ、実行されていったのか、を克明に記録することである。
従来の新聞報道は、新日銀法の「自主性尊重」という制度的枠組みにとらわれ、日銀の金融政策決定会合の議論ばかりに着目してきた。だが、実際の金融政策は、新日銀法下でも、日銀と政府(内閣や国会)、外国政府との間で、水面下の交渉や駆け引きが行われ、そのなかで決まっている。
そうしたリアルな決定プロセスに迫るため、本書を書くにあたっては、日銀関係者とともに、政治家や官僚の取材を重視した。「国内政治・政局」「金融政策」「通貨外交」を別々にとらえるのではなく、三位一体で描こうと試みた。
政策決定プロセスの検証という作業は、その政策の責任の所在を明らかにすることでもある。仮に、いまの金融政策が将来、重大な問題を引き起こしたとき、誰にその責任があるのか? 本書を読めば、それをたどれるはずである。
後世の歴史家や学者が手に取り、そして引用する。そんな一冊になっていればうれしい。