翌12日、長きにわたった熾烈な戦いに終止符が打たれる。序盤のリードを守り切った早稲田が3-1で勝利、優勝を決めた。
「メンバーも良かったし、みんな一生懸命戦っていた。何で負けたかはわからないね。一球一球が戦局を左右する独特のムードがあった」と話すのは、6連戦の計4試合に登板した慶應の投手、清澤忠彦さん(85)だ。事前の予想では慶應有利だった。
「野球は人のやるものだから、計算どおりにはいかんよね。ただ強いて一つ挙げるとすれば、4人も投手がいたから『よし俺が最後までやったる!』という闘志が足りなかったのかもなあ」(清澤さん)
6連戦で早稲田の安藤元博氏は5試合完投49イニング、564球を投げていた。
徳武さんはこう話す。
「卒業の年の秋の早慶戦に勝てたということは人生においてものすごく大きいこと。これだけの厳しい戦いに勝てたということが、いまでも心の支えになって、どんな苦しいことにも耐えられる」
実はこの「早慶6連戦」、慶應側は応援席で“先制攻撃”を仕掛けていた。応援席に女性バトントワラーを登場させたのだ。名前は高山藍子さん(79)。当時は慶應女子高の生徒だった。
「これまで六大学の応援のメイン台に女性が立つなんてことは考えられませんでした。幼稚舎の頃から憧れた慶早戦ですから、お話がきたときは誇らしかったですよ」(高山さん)
試合当日まで、高山さんが出ることは極秘にされていたという。
「スタンドに出ていったときは、シーンとしたんです。あのときは怖かったですね。とにかく夢中で踊っていたのですが、途中で一度バトンを落としてしまったんです。そのときに、早稲田の方から、『ワー!』とも『オォー!』ともつかない声が地響きのように轟(とどろ)いてきて。そのどよめきをいまでも覚えています」
高山さんがバトントワラーとして応援席に登場したことが、後年チアリーディングによる応援へとつながっていく。
この5年後の65年、今度は早稲田が応援で仕掛ける。応援曲「コンバットマーチ」を生み出したのだ。