現在、将棋AIは人間のトッププロに匹敵するほど強くなりましたが、実はチェスの世界では1997年時点ですでにAIが人間の世界チャンピオンを破っています。一見似たような将棋とチェスですが、なぜこのような差が開いてしまったのでしょうか。
新刊『人工知能はどのようにして「名人」を超えたのか?』では、将棋や囲碁を例に、AIにおいて最も重要な技術「機械学習」「深層学習」「強化学習」の本質を解説しています。今回はそのなかから特別に一部を公開します。
●「ゲームに現れる局面の数」と「トッププロに勝てるかどうか」は関係がない
将棋AIがチェスのAIに遅れること20年、ようやく人間のトッププロに渡り合えるようになりました。この時間差の理由について、多くの人が「チェスよりも将棋のほうが難しいから」と答えるでしょう。それはある意味、正しいです。
ただし、その文脈でよく聞かれる言説に、「将棋はチェスよりも存在可能な局面が多いから難しい」というのがあります。人工知能の専門家ですら、こういったことを言う人が多くいます。
この説は高い確率で誤解を含んでいますし、オブラートに包まずに言うと、間違っています。どこが間違っているのでしょうか。
将棋がチェスに比べて、存在できる可能性のある局面の数が多いのは間違いありません。
想定される数には研究者によってバラツキがあるので明言は避けますが、とてつもなく大きい数だと思っていただいて大丈夫です。
どれくらい大きな数かといえば、まずチェスですら、1秒間に2億局面読めるプログラムが、宇宙開闢(かいびゃく)から現在までの100億年のあいだ探索を続けても読みきれません。そして将棋はさらにその上を行くのです。
私は仕事柄、「ポナンザが将棋の名人を倒したら、次は将棋の完全解析に進むのですか?」とよく聞かれるのですが、ちょっと返事に困ります。
完全解析というのは文字どおり、すべての答えがわかっているという状態です。ある局面でどんな手を指せばベストなのかがわかるだけでなく、ゲームのスタート前に、先手が勝つか、後手が勝つか、引き分けになるのかがわかっているということになります。
しかし将棋というゲームは、皆さんの想像をはるかに超えて奥が深いのです。現在のコンピュータでは、宇宙の年齢の10の100乗倍の時間があったとしても、とうてい読みきれるものではありません。これはアルゴリズムがどれほど進化しても解決しないでしょう。
先ほどの言葉、「将棋はチェスよりも存在可能な局面が多いから難しい」というのが、「(完全解析するのが)難しい」という意味なら正しいのですが、この質問の意味は「(人間のトップに勝つのは)難しい」という意味ですよね。まずはここまで皆さんと前提を共有できればと思います。
ちなみに、現在のところ、まだオセロですら完全解析はできていません。あのシンプルなゲームですらそうなのですから、完全解析というのがいかに難しいのか、想像してもらえると思います。