〈勉強とは、自己破壊である〉

 千葉雅也『勉強の哲学』は、こんな刺激的なフレーズではじまる。『動きすぎてはいけない』で注目された気鋭の哲学者は、自己啓発系勉強本にありがちな、現状の自分に効率よく新しい知識やスキルを付け加える方法などは紹介しない。

 まずは、〈勉強とは、別の考え方=言い方をする環境へ引っ越すことである〉として、自分を取り囲んできた環境(会社や学校や友人たち)に順応する言語ではなく、興味を持って得た新たな言語をとにかく使ってみることを勧め、〈深く勉強するとは、言語偏重の人になることである〉と説く。そうして言葉を玩具のように操作できるようになれば、周囲から「ノリ」が悪いと訝(いぶか)られようが、自由に考えられるようになる。そもそも勉強する目的はこれまでの環境から自由になるためなのだから、周囲から浮いても気にしない。

 さらに千葉は、〈ノリの悪い語りが、自由になるための思考スキルに対応している〉と喝破(かっぱ)し、アイロニーとユーモアという思考方法について解説。その上で、私たちひとりひとりの個性=「享楽的こだわり」にも言及する。

 ここまでがこの勉強論の原理編で、後半は実践編となる。どのように勉強を開始すればいいか、千葉は自身の体験もまじえて語り、専門分野への参加の手続きも詳しく案内してくれる。哲学者らしく厳密な言葉によって書かれているが、斬新な視点と丁寧な論旨の展開に何度もうなずき、私は読後、勉強のもつ危険な魅力にあらためて興奮した。

 もうお気づきのとおり、この本を読むことは、そのまま哲学の勉強にもなっている。

週刊朝日  2017年5月19日号