『枕草子(まくらのそうし)』を初めて知ったのは、幼稚園児の頃だった。祖母と一緒に寝ていた私は、毎夜寝物語をせがんだ。そんな私に祖母が聞かせてくれたのが「香炉峰(こうろほう)の雪」の話だったのだ。千年前の宮廷。天皇の第一の后(きさき)に仕える清少納言(せいしようなごん)。雪が高く積もったある日、后が彼女に謎のような言葉をかける。「清少納言、香炉峰の雪はいかに」。実は長じて『枕草子』本文を確認すると、この祖母の言葉は少し違っていた。だが、それはよしとしよう。后の声掛けに、清少納言は御簾(みす)を高々とあげる。祖母はそれをポーズ付きで演じ、これが中国の詩に基づく教養溢れるやりとりなのだということも教えてくれた。『枕草子』は私の心に、優雅な宮廷生活を綴った書物として焼き付けられた。
だが1977年、高校で手に取った国文学入門誌『国文学 解釈と鑑賞』の『枕草子』特集号のタイトルは、「枕草子 ほろびゆくものへの挽歌(ばんか)」だった。清少納言が仕えた后・定子(ていし)は最高権力者の娘で当初は栄華を極めたが、父が死に兄弟が事件を起こして家が没落、定子は絶望のため髪を切って天皇と離別する。しかし定子への愛執(あいしゆう)を抑えられない一条(いちじよう)天皇により、やがて再び后に復帰。以後は権勢なき后として貴族社会から白眼視され、天皇の三人目の子を産んだ床で亡くなった。享年二十四。清少納言は定子の最も信頼する女房で、その凋落(ちようらく)以後も最後まで側に控えた。特集号タイトルは『枕草子』がこうした背景を持つことによるものだったのだ。
高校生の私は戸惑った。悲惨すぎる。なのに何が「春は曙」だ。「香炉峰の雪」だ。置かれた状況に比してこの作品の内容は悠長すぎる。なぜなのか。また、だいたい定子が死んだことすら記していないこの作品のどこが「挽歌」なのか。だが残念なことに、その特集号に答えはなかった。タイトルの「挽歌」という語はただ比喩としてのものだったのだ。
だが、それから四十年。『枕草子』研究は進展した。本文研究、成立論を始めとして地道な基礎研究が進められてきたのだ。日本史研究が平安時代を本格的に対象として扱い始めたことも大きい。おかげで近年では、史料的な裏付けのある『枕草子』分析が盛んになってきた。本書はそうした諸学の研究成果の上に立ち、王朝貴族社会の中におけるリアルタイムの『枕草子』の解明を目指した。結果として、四十年前のあのタイトルは、偶然にも正鵠(せいこく)を射ていたと言える。『枕草子』は比喩ではなく事実、定子への慰撫と鎮魂の書であった。