寛一郎:僕はそもそも最初に撮った短編が本編に入ると思っていなかったんです。僕も逆算して演じるのは大変でした。今振り返ると、(最初に撮ったものが)第七章だと知っていたらもっとこうすれば良かったとか、役者としての欲みたいなものがあります。でも、完成した映画を見ると、あれはあれで良かったんだなと思いましたし、初めての撮り方だったので、すごく面白かったです。
■モノクロの方が人物に集中する
阪本:第七章を本編に組み込もうと思った時、どうやったって映画の冒頭にできなかったの。脚本ができ、最終的に役者の皆さんにお願いしたのは、「心情も関係性もできる限りつながるようにしたから、後は先に撮ったところに着地するように、お任せするところはお任せするしかないので」ということでした。
寛一郎:着地はもちろん、短編ごとのつながりは意識しました。でも、僕の相手はほとんど池松さんで、空気感についてはほぼ話し合いはしなかったんです。池松さんから「なんか『ゴドーを待ちながら』(サミュエル・ベケットによる戯曲)だよね」という話があり、そのキーワード一つだけで、本当に自然な関係性でした。
黒木華さんとは第七章と第六章の短編を撮る間にドラマを撮っているんです。そこで関係性が深まってから長編に入りましたが、華さんと絡みは少なかったので、印象に残っているのは最初に撮った短編です。お忙しいのに短編に対する情熱や作品に対する向き合い方が素敵でした。着物もお似合いですし、美しかったですね。
阪本:時代劇を撮るならモノクロ、スタンダードと決めていました。長屋のたたずまい一つをとっても当時の世界観を表現できる。それとモノクロの方が観る人が人物に集中できるんです。
寛一郎:僕は何かすごく懐かしい気持ちになりました。(一章ごとの)最後をカラーにすることによって、江戸時代の話が今日の話につながっている。僕は時代劇に興味がないのですが、この映画はとても意義のある時代劇だと思います。
(構成/ライター・坂口さゆり)
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※週刊朝日 2023年4月28日号より抜粋