映画を通して環境問題を考える──。そんなアイデアから生まれた映画「せかいのおきく」が4月28日から公開される。主要キャストの一人、寛一郎さんと、彼を生まれた頃から知る阪本順治監督が、短編集のような珍しい映画の舞台裏を語った。
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──「せかいのおきく」は、世界に先駆けて循環型社会が成立していた江戸時代末期が舞台。武家育ちでありながら、今は貧乏長屋で父と暮らすおきく(黒木華)と、古紙や糞尿を売り買いする最下層の仕事に就く中次(寛一郎)と矢亮(池松壮亮)を中心に、社会の底辺でたくましく生きる若者たちの姿を描く。
本作は短編をまとめた連作小説のように、1話完結の全九章で1本の長編映画となっている。映画を通して環境問題を伝えることができるのでは、と美術監督の原田満生さんが企画。阪本監督が興味を示したのは、江戸の循環型社会と市民時代劇とウンコだった。
阪本 企画書にあった、江戸時代は糞尿を畑にまき、野菜を作り、その野菜が人の口に入り、また糞尿になるという循環型社会が成立していた、ということを読んで興味が湧きました。汚いところから社会を眺める映画なら誰も撮ったことがないだろうし、やれるかもと思いました。
寛一郎:中次は紙屑買いから汚穢(おわい)屋(下肥買い)に転身し、おきくと淡い恋を成就させる青年ですが、僕はまず汚穢屋と侍の娘の恋の話というところが、めちゃくちゃ面白い着眼点だと思ったんです。原田さんの伝えたいことと、この映画にすごく興味がありました。僕はSDGsという言葉は好きではないのですが、「せかいのおきく」で言いたいのは循環すること。人間もモノも全てのモノが回っている。そこに僕も同意します。しかも、監督は阪本さんですし、侍の娘は黒木華さん。ぜひやらせてくださいと伝えました。
阪本:ただ、撮るにしても資金がないから、原田のポケットマネーでまず2020年12月にパイロット版の「第七章 せかいのおきく」を作り、それを持って長編の資金を集めようとしたんです。コロナ禍でしたが、21年6月に「第六章 そして舟はゆく」を撮った。この二つの短編をもとに出資が決まり、長編にすることができました。ただラストを先に作ってしまったわけで、脚本はそこから冒頭にさかのぼって書いていくことに。おきくの傷はどこでどうやってついたのか、おきくと中次と矢亮はどこで出会ったのか……と、話のつじつま合わせをしていかないといけなくなった。こんな書き方をしたのは初めてで大変でしたが新鮮でもありました。