準決勝・日大三戦の二回裏に同点の犠飛を放った横山(撮影/写真映像部・松永卓也)
準決勝・日大三戦の二回裏に同点の犠飛を放った横山(撮影/写真映像部・松永卓也)
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 第107回全国高校野球選手権大会第14日。決勝進出をかけて日大三(西東京)と県岐阜商が戦った準決勝第1試合は、延長十回タイブレークの末、4対2で日大三が制した。そんななか、ひときわ大きな喝采を浴びた一人の選手がいる。県岐阜商の横山温大(3年)だ。

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 聖地でひときわ大きな喝采を浴びた。アルプススタンドからは「はると!」の大声援。県岐阜商の横山温大(3年)だ。

 県岐阜商野球部は創部100周年。夏は31回の出場を誇る古豪だ。横山は生まれつき左手指が欠損しているというハンディを抱えながら、堂々スタメンを張った。県大会では5割2分6厘とチームトップの打率を残し、聖地に乗り込んだ。

 甲子園では準々決勝までの4試合で毎試合安打を放った。左手はバットのグリップに添え、右手一本で振り抜く。その打撃センスに球場は沸いた。

2回戦の東海大熊本星翔戦。横山の左手を添える打撃フォーム(撮影/写真映像部・東川哲也)
2回戦の東海大熊本星翔戦。横山の左手を添える打撃フォーム(撮影/写真映像部・東川哲也)

 元々は投手だったが、1年の秋に野手転向を当時の鍛治舎巧監督にラインで直訴した。

「投手ではベンチに入ることは難しいと思うが、野手はまだ自信がある。もしチャンスがあれば、野手で行かせてください」

 監督は「お前に任せたぞ」と返事をくれた。

「野手への転向に少し不安はありました。でも、腹をくくって覚悟を持って決めました」

 人一倍バットを振り、右手のグラブで捕球してすぐさまグラブを外して送球する動きにも磨きをかけた。

 甲子園の舞台に立つどの選手とも遜色ないそのスローイングは甲子園でも発揮され、大きな拍手が送られた。そんな横山が右手にグラブをはめだしたのは中学のときだ。

「野手をやるときにそうしていました。今のスローイングの形が完成したのは中学3年くらい。普通の人と違うので、お父さんも練習方法を一緒に考えてくれて、キャッチボールをしてくれました。高校に入ってからは周囲の足も速くなるし、全体のレベルも高くなるので、もっともっと(動作を)速くしないといけないなと思って。そこからまた一から作り直しました」

 グラブの手首部分は、持ち替えが素早くできるように工夫されている。

「手が抜けやすいように、少しだけ広くしてあります。自分で調整しています」

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