
劇場に合わせた色にもこだわりが
そんな一見、誰も気がつかない小さなこだわりを重ね、トータルで着る人の独特な世界を作っていく。なかでも中原のこだわりが冴え渡るのが、衣装の色だ。
「『千と千尋の神隠し』のアニメは、色遣いが計算し尽くされていると感じていました。でもその色みをそのまま舞台という現実世界で使ってしまうと、どうしても違和感が生まれることがある。それを避けるために、上演される劇場ではどの色がバランスよく見えるか、また自分らしい色を出すにはどうしたらいいか、といった試行錯誤を繰り返しました」
ましてや海外の劇場なら、照明の色みも日本とは微妙に違う。千尋の衣装は人の手で染色しながら、例えば同じ赤でもキャスト別に10パターンくらいの色を作り、ロンドンの劇場に持ち込んで照明映りを見ながらまた染色を加える……そんな作業を何度も繰り返した。
こうして作り込まれた衣装は、キャラクターたちがまるで毎日着ていると思わせるような「普段着」感がたっぷり。この日も、役者たちが衣装合わせにやってくるたび、例えば「(襟からのぞく白い部分は)あと1ミリくらい長いほうがいいんじゃないかな」などと試しながら、気が遠くなるくらい時間をかけて、衣装を完成させていた。そしてこの舞台だけで数百着、数千着のこだわりの衣装が、中原の手のなかから生まれている。
希望を失った2年間
「こう見えて私、高校のときは東京で一番走るのが速かったこともあるんですよ」
そう笑う以前の中原は、オリンピックも狙えるような注目の陸上選手。ところが、怪我で引退を余儀なくされ、走るという希望を取り上げられてしまう。家に籠もるようになり、来る日も来る日もゲームしかしない日が約2年間続いた。
そんなある日、中原を家の外に連れ出してくれたのが、好きだった俳優の大沢たかお。出演舞台を見ようと、2年ぶりに家の外に出たのだ。その舞台で何より感動したのは、衣装だった。
「私もこうやって俳優さんを、輝かせる仕事に就きたい」という思いが、中原を衣装デザイナーの仕事に導いてくれた。そして今度は彼女が、舞台裏でのこだわりと努力で、舞台の素晴らしさを見る人に伝えている。
誰よりも自分がやっていることを信じる
「自分がやっていることに信念を持つのは大事。私の場合だと、自分が仕上げた衣装に対して、誰よりも自分が一番信じてあげないといけない。うん。それはいつも思っているんですよね」
撮影付きの取材があると「苦手過ぎて胃が痛い」と訴えていた中原が、ローレンス・オリヴィエ賞授賞式では黒いドレスに身を包み、眩しいほどの輝きを放っていた。日本には残念ながら衣装デザインに対する賞がほとんどない。彼女のこだわりに光を当ててくれた、この賞にも感謝して。(文中敬称略)
(ライター・福光恵)

※AERA 2025年8月11日-8月18日合併号
こちらの記事もおすすめ 民具や衣装のリアリティー、狩猟や採集の様子 『ゴールデンカムイ』きっかけで高まる関心