8月17日まで東京・恵比寿の東京都写真美術館で開催されている「被爆80年企画展 ヒロシマ1945」の会場を歩く吉川晃司さん
8月17日まで東京・恵比寿の東京都写真美術館で開催されている「被爆80年企画展 ヒロシマ1945」の会場を歩く吉川晃司さん

 奥田民生くんと組んだユニット「Ooochie Koochie(オーチーコーチー)」で作った曲に、「リトルボーイズ」という曲があります。奥田くんが作った曲に私が詞を書きました。

 リトルボーイとは、広島に投下された原爆のコードネーム。B29爆撃機の名前「エノラ・ゲイ」は機長の母親の名前でした。操縦席にいた米国の操縦士は、怖かったんじゃないか。母親に守られたかったんじゃないか。あのとき、巨大なキノコ雲の上と下には、母親から見送られてきた日米双方の子どもたちがいた。その母親たちも、「戦争で活躍なんてしなくてもいいから生きて帰ってほしい」。そう思ってたんじゃないか──。そんな目線で詞を書きました。

 きっと、若い頃なら、そんなふうには思えなかった。詞の中に「『エノラ・ゲイの悲劇』を僕は/新天地のディスコで踊った」とあるんですが、恥ずかしながら実話です。反戦歌だったそのヒット曲を、私は内容も知らずにただノリのいい曲だと踊っていたんです。

戦争を始めるのは「安全地帯」にいられる人たち

 いま、世界中で戦禍がやみません。きな臭さがどんどん増しています。「狂気」に囲まれてしまうと、人間はやはり脆いですよ。そのうちに身動きが取れなくなってしまう。原爆のようなモンスターに多くの人が一瞬にして命を奪われる。そんな戦争は絶対に二度とあってはいけないと思います。

 理想的には、核兵器はすべて廃棄することが望ましいでしょう。ただ、平和を祈っていれば傷つけられることはないのかというと、ウクライナやガザを見て、残念ながら性善説が通用する世の中ではない。じゃあ、現実的にはどうするか。

 戦争を始めるのはいつの時代も、「安全地帯」にいられる人たち。戦地に行くのは庶民です。そんな「行かない人たち」で決めるのではなく、少なくとも、国民みんなで考え、その総意に基づいてものごとを決めていく。その基本は忘れてほしくないと、心から思います。

(構成/AERA編集部・小長光哲郎)

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