恋柱・甘露寺蜜璃も無惨に対面して恐怖を感じた時、心の中でこんなふうに呟いていた。

悲鳴嶼さん 早く来てくれないかしら
急いで来て欲しいわ 心細いから!
(甘露寺蜜璃/21巻・第183話「鬩ぎ合い」)

 「恐怖心」は身体を萎縮させ、隙を生む。鬼殺隊が一丸となって、強大な敵・鬼舞辻無惨に立ち向かうためには、戦闘の場に「悲鳴嶼がいること」が重要なのだ。

■悲鳴嶼行冥の“憂鬱”

 悲鳴嶼自身も、自分が隊士たちの“心の支え”になっていることには自覚的である。本当の悲鳴嶼は優しい。しかし、それでも彼の本心は見えるようで、見えない。悲鳴嶼はいつも年若い隊士たちを見守りながら、心の中では「子供たち」への不信感を抱えていた。

子供というのは 純粋無垢で 弱く
すぐ嘘をつき 残酷なことを平気でする
我欲の塊だ
(悲鳴嶼行冥/16巻・第135話「悲鳴嶼行冥」)

 かつて悲鳴嶼は、自分の寺で孤児たちを養育していた。食べ物すら十分にない困窮する生活の中で、家族のように慈しんできた子供たち。しかし、その中の1人が、鬼と遭遇した恐怖から鬼の言いなりになり、寺に「人喰い鬼」を招き入れてしまった。悲鳴嶼は子供たちを鬼から守ろうとしたが、彼らの多くは悲鳴嶼の言うことをきかなかった。

目も見えぬような大人は 何の役にも立たないという
あの子たちなりの判断だろう
(悲鳴嶼行冥/16巻・第135話「悲鳴嶼行冥」)

 どんなに守ろうとしても、仲良く暮らしているのだと信じていても、盲目であるために侮られ、“裏切られる”……悲鳴嶼は絶望した。「子供たち」から向けられる信頼の眼差しを信じられなくなった。

■悲鳴嶼が本当に“許せない”こととは

 しかし、悲鳴嶼が憤り、わだかまり続けているのは、本当に「裏切った子供たち」のことだったのか。この回想の中で、持っている数珠が割れるほど悲鳴嶼が力を込めたのは、「何としても沙代(注:悲鳴嶼が守り切った少女の名前)だけは 守らねばと思い 戦った」(16巻・第135話)という言葉を口にした時だけである。

 彼が許せないのは、寺の子供たちを守りきれなかった、かつての弱かった自分自身なのではないか。死んでしまった子供たちへの想いは、今もなお、悲鳴嶼の心を苦しませる。

 無限城の戦いの中で、悲鳴嶼はあの時の後悔を取り戻すことができるのだろうか。この死闘では、さらにたくさんの少年少女たちを守るために悲鳴嶼は力を尽くす。岩柱の強さと、それでもこぼれ落ちる命の行方を、私たちは見届けなければならない。

《新刊『鬼滅月想譚 ――「鬼滅の刃」無限城戦の宿命論』では、最強の上弦の鬼・黒死牟と悲鳴嶼の8つの対照性について分析。悲鳴嶼の強さに憧れた胡蝶しのぶの“想い”についても詳述している。》

鬼滅月想譚 『鬼滅の刃』無限城戦の宿命論
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