
注目対局や将棋界の動向について紹介する「今週の一局 ニュースな将棋」。専門的な視点から解説します。AERA2025年8月11日-8月18日合併号より。
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「えっ、残ってたの!?」
オークションサイトを見ていた筆者は、思わず大きな声で叫んだ。そこに出品されていた何冊かの古い本には、以下のような蔵書印があった。
昭和拾五年一月
將棋大成會 寄贈
溝呂木光治
これらが将棋史の上でどれだけ貴重な遺産なのか、その概略を記してみたい。
溝呂木光治(みぞろぎみつはる)八段は戦前に活躍した有力棋士だ。現在の日本将棋連盟の名称は1936年から47年までの間は「将棋大成会」だった。溝呂木は蔵書家としても知られ、1940(昭和15)年に亡くなったあとは多くの文献が大成会に寄贈された。
第2次世界大戦末期の1945年5月。当時の大成会本部は東京都内の護国寺近くにあり、そこで2人のアマが加藤博二四段(のちに九段)に指導を受けた。将棋を指す間にも空襲警報が鳴り響き、やがて爆弾の落ちる音が聞こえてきた。
「どうせ空襲でやられてしまうんだから、好きな本を持っていっていいですよ」
加藤がそう言うので、2人のアマは土蔵に収められていた数千冊の中から、いくらかをもらって帰った。数日後、東京は大空襲を受け、大成会は全焼。過去から伝わる文献の多くもまた焼失した。
わずかに持ち出された本の中には「象戯童翫集(しょうぎどうがんしゅう)」という、江戸期に出版された詰将棋作品集があった。後世に伝わっているのはその1冊だけ。戦後、熱心な研究者たちによってその詳細が明らかになったが、もし戦争で焼けていれば「象戯童翫集」の存在は永遠に失われていた。
いま筆者の手元にある大成会印が押された本が「象戯童翫集」とともに持ち出されたものかはわからない。それでもこの印を見るたび、将棋界の先人の苦労が偲ばれ、粛然たる思いがする。
(ライター・松本博文)
※AERA 2025年8月11日-8月18日合併号
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