公式行事も多い。戦時中にユダヤ人を多数救った早大OBの「日本のシンドラー」杉原千畝(ちうね)の記念碑が学内にあり、6月10日、リトアニアの大統領ギターナス・ナウセーダ(前列中央)を案内(写真/松永卓也)
公式行事も多い。戦時中にユダヤ人を多数救った早大OBの「日本のシンドラー」杉原千畝(ちうね)の記念碑が学内にあり、6月10日、リトアニアの大統領ギターナス・ナウセーダ(前列中央)を案内(写真/松永卓也)

 海外出張に加え、全国各地の校友会から声がかかる。国内外の要人との会合、官公庁や大学業界の会議、さらに学内の行事や会議も切れ目がない。帰宅後もメールの返信などを夜更けまで。原稿も多くは自ら書き、スピーチの言葉も練る。田中の働きぶりを「事務方としてはいくつか断ってほしいが、どれも手を抜かない。体力と集中力、精神力は群を抜いている」と松尾は語る。

 愛称はラブジ。「愛」ゆえに「Love(ラブ)」。人呼んで「愛をもって大学を治める総長」だ。中学・高校は陸上部。大学では空手部。身長175センチの偉丈夫が身をもって示す「愛」とは、何だろうか。

 スポーツマンシップと日々の鍛錬のたまものなのか。田中に問うと「最近は自宅の近所を散歩するくらい」という。では、「愛」の根っこは何か──。

「ひとことで言うと、大学という組織の経営が『向いて』いました」

三品食堂の店主・北上昌夫(右端)と学生街の昔話に花が咲く。「貧乏学生ですから、高田牧舎(1905年創業の老舗、近年はピザ専門店に衣替え)は敷居が高い。教授が入る店だと思っていました」(写真/松永卓也)
三品食堂の店主・北上昌夫(右端)と学生街の昔話に花が咲く。「貧乏学生ですから、高田牧舎(1905年創業の老舗、近年はピザ専門店に衣替え)は敷居が高い。教授が入る店だと思っていました」(写真/松永卓也)

 2018年、総長選への立候補を決断。「2月から何度も仲間と相談し、公約を書き上げたのは5月ごろでした」。6月14日、28日と2度の投票を経て第17代総長になることが決まった。政治経済学部出身の総長は半世紀ぶりのことだ。

「任期は11月から。でも、総長選の翌日から総長として働けるくらい、何をやるべきかが頭に入っている状態でした。あのときのビジョンは今もぶれていないと思っています」

 総長としての「山場」は二つだろう。一つは、就任1年余で直面したコロナ禍。大学トップとしての信念と覚悟が問われた。

 早大の学外理事だった米イェール大学教授の政治学者フランシス・ローゼンブルース(故人)によると、同大では春休みを延長し、全授業をオンラインに切り替える準備を整えたという。そう聞いた田中は、国内で市中感染が始まった2月末、3月25~26日の卒業式と4月1~2日の入学式の中止を決めた。なぜ即断したか。田中に尋ねると、計量政治学の専門家らしい答えが返ってきた。

次のページ 教え請いに来た慶應義塾長