ちなみにV逸の責任を取る形で辞任した岡田彰布監督も、同年は優勝を前提に『頑固力 ブレないリーダー哲学』(角川SSC新書)を執筆中だったが、シーズン終了後、最後の1章を慌てて書き直したという。
2023年に岡田阪神が18年ぶりVを実現した際にも、シーズン中に何度となく“「Vやねん!」の悪夢”が引き合いに出されたように、猛虎ファンにとって08年のV逸は、15年の長きにわたって尾を引くトラウマとなった。
NPB史上初の前半戦首位ターンから最下位転落の悲哀を味わったのが、2015年のDeNAだ。
同年は就任4年目の中畑清監督の下、主砲として覚醒した筒香嘉智やルーキーながら開幕からクローザーを務めた山崎康晃ら若手が台頭し、5月5日に首位浮上。同16日には貯金も最大の「11」となった。
交流戦では3勝14敗1分と大きく負け越し、一時は5位まで後退も、交流戦後の7月3日にセの全6球団が借金を背負うという珍現象のなか、DeNAは同12日から4連勝。42勝42敗1分の勝率5割ながら、前半戦を首位で折り返した。
だが、2位・巨人と0.5ゲーム差、最下位・中日とも4ゲーム差の大混戦とあって、落ちるのも早かった。後半戦初戦でヤクルトに敗れ、あっさり首位の座を明け渡すと、翌日も連敗し、一気に4位転落。7月28日には5位に後退し、さらに8月21日から5連敗して、首位ターンからわずか38日後に悪夢の最下位転落となった。
1960年の中日、2012年のロッテも、前半戦首位から5位という歴史的な失速を演じているが、最下位でシーズンを終えた不名誉な球団は、この時点で皆無だった。
中畑監督も「ここまで落ちたら、もう上しかないわけだから」と再浮上を誓ったが、9月中旬にも5連敗を記録するなど、負の連鎖は止まらず、終わってみれば、5位・中日に1.5ゲーム差の最下位。続投が内定しながら、「ファンの期待を大きく裏切った」と引責辞任する羽目になった。