
【※ネタバレへの注意】以下の内容には、既刊のコミックスと劇場版のネタバレがわずかに含まれます。
【画像】猗窩座より強い?「無限城編」に登場する上弦の鬼はこちら
18日に公開された新作劇場版「『鬼滅の刃』無限城編 第1章・猗窩座再来」の快進撃が続いている。声優陣の素晴らしい演技に賞賛が集まっているが、とりわけ話題になっているのが「上弦の弐」の鬼・童磨を演じた宮野真守の怪演だ。美しさとグロテスクさ、優しさと冷酷さ、理性的でありながら、狂気に満ちた声。まさに「ハマり役」だといえよう。
童磨は、熱心な童磨ファンからは理知的な優しい人物と評され、一方で彼の不気味さに慄く鬼滅ファンもいる。優しい口調で喋る童磨はなぜ「怖い」のか?「上弦の参」猗窩座との、「人間の食べ方」への思考の差から考察する。
■童磨の「心配ごと」と「不満」?
“感情がない鬼”、童磨。彼は自分のことをそう認識している。では、本当に最初から、童磨に感情は一切なかったのか。幼少期、すでに万世極楽教の教祖としての役割を背負わされていた彼は、信者の言葉に涙を流したことがあった。信者に見せている姿と、彼の心中にあった思いには大きな差がある。それは「無感情」とは少し異なるもののようにも見える。
しかし、彼自身がそれに自覚的ではないのだから、やはり「感情がない」という説明になるのだろう。そして、童磨は時々、意識的に「感情があるふり」をする。もっとも印象的だったのは、通称「上弦パワハラ会議」の時の様子である。
「おっと おっと!
ちょっと待っておくれよ猗窩座殿!
俺の心配はしてくれないのかい?
俺は皆を凄く心配したんだぜ!」
(童磨/12巻・第98話「上弦集結」)
童磨は基本的に鬼同士の会話では礼儀正しいのだが、猗窩座がいら立つような言葉を何度か口にしていた。
■猗窩座に対する童磨の不満、無惨への献身
童磨は鬼の始祖・鬼舞辻無惨に対しては敬意のある態度をとっている。無惨から頼まれている種々の“しごと”をこなし、無惨が配下に求める強さを維持、向上させるために積極的に「人喰い」をしている。そのためか、無惨の言いつけを部分的に守ろうとしない、猗窩座への不満を口にしている。
「猗窩座殿って絶対女を喰わなかったからさあ
俺言ったんだよ!
女は腹の中で赤ん坊を育てられるぐらい 栄養分を持ってるんだから
女を沢山食べた方が 早く強くなれるって」
(童磨/18巻・第157話「舞い戻る魂」)
「だけど猗窩座殿って 女を喰わない上に殺さないんだよ!
それを結局あの方も許してたし ずるいよねえ」
(童磨/同上)
鬼として強くあらねばならない、という童磨の“生真面目さ”が垣間見える。しかし、そこで猗窩座の意志、心情については、配慮をする様子はない。
■優しい教祖が「人を喰う」グロテスクさ
どんなに童磨が「救済」のためだと言ったとしても、そこに神仏への信心が一切ない不遜な無惨の「言いつけを守る」ことを「行動の正義」に含むのだとしたら、童磨の「人喰い」に宗教的意義としての救済性を認めることはできない。童磨は鬼として生きたいのか、教祖として生きたいのか?この相反する2つに行為にどうやって折り合いをつけているのか。