
「バスケットボールの試合や、アーティストさんのイベント用に作られていた会場なので、そもそも常設の氷を張るというのは非常に大変な作業だったと思います。そうした状況の中で、室温や湿度管理、ほんとうにいろいろなことを試しながら、やっとできた氷だということをあらためて感じつつ、そこにすごく感謝したいと思いました。まだ、氷も張ったばかりですので、これからいろんな経験を積んで、今日のことも含めて、もっともっと、試合でも活躍してくれるような氷になっていってくれると思います」
一緒に出演した仙台の若いスケーターたちにもメッセージを贈る。
「今日滑った子どもたちが、ちょっとでも僕らから刺激を受けたり、いや、こいつらより絶対うまくなってやるって思ってくれるような子たちが出てきてくれたらうれしいなと思います」
フィギュアスケート発祥の地に生まれた新たなリンクは、若きスケーターたちにとって、より充実した環境をもたらしてくれる待望の場所である。
スケーターたちにとっての意義ばかりではない。
国際規格にのっとった規模でつくられたリンクでは、今後、大会やアイスショーもきっと開かれるだろう。それは仙台の人々にとって、フィギュアスケートをより身近に感じることができる機会となる。
地元向け「市民枠」
今回のオープニングイベントもそうだ。ショーが開演する1時間前、開場するときには入り口の前にいくつも折り返しのある長い行列ができた。そこには、羽生のいつものアイスショー以上に幅広い世代の人々の姿があった。チケット販売時に地元向けの「市民枠」を設けていたことがそこにつながっていただろうし、これまでアイスショーを見たことがない人の来場も少なくはなかったように思えた。それもまた、新たなリンクの誕生の意味を伝えていた。
羽生がアンコールを滑り終えるとフィナーレの群舞が始まり、やがて終演を迎えた。
スケーターたちと周回しながら羽生は手を振り、笑顔を向けて歓声に応えた。1階席へ、2階席へ、3階席へとこまめに視線を変えながら、手を振り続けた。
一人、また一人と退き、最後にリンクから上がった羽生はあらん限りの声で叫んだ。
「ありがとうございました!」
沸き起こる拍手と笑顔。成功裡に終わったファーストステージは、ここから新たな歴史と物語が生まれる予感を抱かせた。
(ライター・松原孝臣)

※AERA 2025年7月28日号
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