
でもそれで終わりではなかった。一度は退いた羽生がリンクに戻る。
練習場所失う選手も
アンコールで披露したのは「Let Me Entertain You」。コロナ禍にあった2020-2021シーズン、「少しでも楽しい気持ちになってほしい」という願いを込めて世に送り出したロックナンバーだ。羽生の、曲調をよく捉えたシャープな動作とともに、ライブコンサートのような高揚に包まれた。それはショーの成功を表す象徴的な瞬間であり、リンクが完成した喜びを場内一体となって祝う瞬間でもあった。
仙台市は、日本におけるフィギュアスケート発祥の地として知られ、数多くの著名選手が輩出してきた。羽生をはじめこの日出演した本田、鈴木、本郷、ビデオでショーにメッセージを寄せた荒川、昨シーズンの世界選手権で銅メダルを獲得した千葉百音らがいる。
輝かしい歴史がある一方で、かつてはリンクがなくなって練習の場を失う選手たちがいた。それでなくてもリンク自体が少なく、練習環境に恵まれているとは言えなかった。そのためよりよい環境を求めて県外に移る選手も珍しくなかった。
羽生もその一人だ。小学生の頃、拠点のリンクが一度閉鎖されて練習場所に苦しんだことがあり、高校2年生のときにはカナダに移る決断をして仙台を離れた。

自身の経験を踏まえ、こう語る。
「世界のトップを狙っていくということになっていくと、もっと恵まれた環境に行かざるを得ないということが僕も含めてあります。その中で、故郷への思いであったり、家族への思いであったり、仲間への思いであったり、いろんなことが『うわー』ってなる時期が絶対あるので。やっぱり好きな場所で、好きな仲間と、好きな先生と一緒にずっとできたらいいなって思うことはありました」
仙台のスケーターを取り巻く環境は容易に好転しない中、羽生は自身がスケートを始めた場所であり、現在拠点とするアイスリンク仙台の維持と発展を願い、多額の寄付を行ってきた。プロに転向した2022年の秋、地元テレビ局の番組に出演し、「仙台にリンクをつくってください」と訴えたこともある。
「やっとできた氷」
かねてからの思いが実現したのが、ゼビオアリーナ仙台の改修であった。だから、まずは感謝を言葉に表した。
