
10代の頃から、興味を持ったことは徹底的に調べ上げずにはいられない性分だった彼は、学校でも成績優秀。高校の頃には、飛び級で大学に進学することを考えていた。そんな彼に、ある教師が一枚の募集要項を手渡した。いっそ外国に留学してみては? 教師に言われるままエッセイを綴り、書類を提出したジョンが、そのことを忘れ始めていた頃、通知が届けられる。結果は合格。青天の霹靂だった。かくして17歳のジョンはイギリスに渡り、全寮制の名門寄宿舎学校、チャーターハウス・スクールで、その後1年間学ぶことになるのだった。少数精鋭、音楽教育に力を入れた学校としても知られる同校で、英文学の他、歌唱とオーケストラ作曲を学んだ彼は、本格的に作曲の世界にのめり込む。しかし帰国後、彼は音楽院ではなく、リベラルアーツの大学に進学する。その理由について、ジョンは次のように語る。
「音楽院に進学してクラシック音楽に特化することに、少し抵抗があったんです。自分はジャズやロックも好きだし、いろんな音楽に興味があったから。さらに加えて、文学や芸術についても、もっと専門的に勉強したいと思っていたんです」
ジョンが選んだのは、音楽のみならず、社会科学や自然科学の分野も広範に学ぶことができるリベラルアーツ大学の超名門校、ウィリアムズ大学だった。そこで、フィリップ・グラスの現代音楽やアルバン・ベルクのオペラについて学ぶ一方で、ジョン・ミルトンの『失楽園』や、ダンテの『神曲』の世界に耽溺していたというジョンは、やがて「文学の世界と音楽を組み合わせた、自分ならではのオペラを書けないだろうか?」と夢想するようになる。しかしそこで彼は、意外な才覚を発揮するのだった。金融分野における非凡な判断力とセンスだ。そして彼は大学卒業後、音楽の道ではなく、金融の道に進むことを決めるのだった。(文中敬称略)

(文・麦倉正樹)
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