
インド・ムンバイの看護師プラバ(カニ・クスルティ)は年下の同僚アヌ(ディヴィヤ・プラバ)と暮らしている。プラバの夫は海外に出たまま音信不通。アヌにはイスラム教徒の恋人がいるが親には内緒だ──。インドの市井の女性たちの「いま」を描く第77回カンヌ国際映画祭グランプリ受賞作「私たちが光と想うすべて」。脚本も手がけたパヤル・カパーリヤー監督に本作の見どころを聞いた。
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私は異なる世代の女性が多く暮らす家庭に育ちました。世代の違う女性が一緒に暮らしている様子を、それも伝統的な家族ではなく都会にやってきてたまたま一緒に住むことになった女性たちの姿を描きたい、と思いました。
プラバ、アヌ、パルヴァティの3人はそれぞれに悩みや問題を抱えています。プラバは親の勧めで知らない相手と結婚し、相手が音信不通になっても離婚が叶わない。若いアヌにはイスラム教徒の恋人がいますが、家族には受け入れてもらえません。インドにおいて恋愛の問題はとても深刻で、すなわち政治的な問題でもあります。年長者のパルヴァティは夫の死後、自立してきた強い女性ですが高層ビルの建設によってアパートを追い出されてしまいます。これも実際にムンバイが直面している問題です。不動産価値が上がり、彼女のように住む場所を追い出されてしまう人々が多くいるのです。
私は前作のドキュメンタリー「何も知らない夜」でラブストーリーの背景にインドの学生運動を描きました。本作はフィクションですが、背景にはもちろん政治や社会との関わりがある。そうでなければ映画を撮る意味がないと、私は思っています。

伝統や常識を無視することができないプラバは進歩的なアヌに批判的です。しかし終盤にはアヌの生き方を受け入れ、同時に自分はまだこの社会に従いながら生きていくことを受け入れる。これらが自分自身を前へ踏み出させるための重要なプロセスだと思います。
いまインドでも分断が進んでいます。政治的に同じ信条に属さない人の話をまったく聞かない状況で、私の大きな懸念でもあります。本作からさまざまな世界へ自分を開き、共感し合うことの大切さを感じてもらえればと思います。
(取材/文・中村千晶)
※AERA 2025年7月28日号
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