
シャンシャンを返還することが日中双方にとって当然の前提であるということは、上野動物園のパンダ飼育施設からも見てとれる。シャンシャンが生まれてから建設が発表された「パンダのもり」は、上野動物園の長期計画の一環であり、何年も前から計画されていた。その広さは、リーリーとシンシンから多くの子が生まれた場合でも、すべての子を飼育できる規模にはなっていない。つまり、上野動物園では、生まれたパンダを長期的に保持することは想定されていなかった。言い換えれば、シャンシャンを飼育し続ける計画もなかったのである。
日本で生まれたパンダは、返還時期こそ延長されることがあったとはいえ、いつか返還されることは最初から決まっていたのだ。
以上のように、パンダの飼育及び繁殖研究は、中国本土と各国の動物園とで並行して進められている。動物保護の観点から見れば、パンダはこのような事情のもと貸借されており、シャンシャンも当然ながら例外ではなかったのである。(『語るパンダ 日本パンダ保護協会20周年誌』より一部抜粋)
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