カナダなどでは特別支援学校や特別支援学級は存在せず、教職員の手厚いサポートを受けながら、障害のある子どもも地元の学校の普通学級に在籍している(写真はイメージ/写真 Getty Images)
カナダなどでは特別支援学校や特別支援学級は存在せず、教職員の手厚いサポートを受けながら、障害のある子どもも地元の学校の普通学級に在籍している(写真はイメージ/写真 Getty Images)
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「インクルーシブ」「インクルージョン」という言葉を知っていますか? 障害や多様性を排除するのではなく、「共生していく」という意味です。自身も障害のある子どもを持ち、滞在先のハワイでインクルーシブ教育に出合った江利川ちひろさんが、インクルーシブ教育の大切さや日本での課題を伝えます。

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 つい先日、日本弁護士連合会(以下、日弁連)から「インクルーシブ教育に関する見解や経験談を聞きたい」と連絡があり、オンライン会議で私なりの考えをお話しさせていただきました。日弁連が今年12月に開催を予定している人権擁護大会のシンポジウムでは、「インクルーシブ教育」がテーマになっており、SNSなどを通じてGoogleフォームからアンケートを実施していました。私もこの調査に回答したところ、担当弁護士さんからメールをいただいたのです。

 今回はインクルーシブ教育について書いてみようと思います。

特別支援学校と小学校が別の場所

 日弁連は、インクルーシブ教育を「同じ教室にいれば良いという意味ではない」と発信し、多様性を認め合うためにひとりひとりに合った支援や配慮が必要と訴えています。これは私もまったく同感で、この概念の違いが、日本のインクルーシブ教育と欧米のインクルーシブ教育の差につながっているように思います。

 どうしてこのような差ができてしまうのかというと、日本では長年、障害のある子どもと健常児を別々の環境で教育する「分離教育」が主流となっていたことが影響していると思います。

 たとえばアメリカの小学校は、特別支援が必要な子どもたちが在籍する教室が同じ建物内にあることが多いのですが、日本では基本的に小学校と特別支援学校は別の場所に建てられており、健常の子どもたちが障害のある子どもたちと接する時間が極端に少ないのです。

 偏見のない幼少期から障害のある子どもたちがすぐ近くにいる環境で育つと、子どもたちは自然に多様性を理解し、どうサポートすれば良いのかを自発的に体得していきます。一方で、障害のある子どもを知らないまま育つ環境下では、お互いにどうコミュニケーションをとれば良いのか分からない場面が発生してしまうことがあるのです。

 たとえば、車いすで外出中に段差があった時に「サポートしてほしい」と思っても声を出しにくかったり、逆に「何か困っていそうだな」と思ってもどういう風に声をかければ良いのかわからなかったり、という、両面からのお話を聞いたことがあります。声をかけることが失礼に当たるのではないかと考えてしまうこともあるようです。実際は単純に、困っている側も困っていそうだなと気づいた側も、思ったように話しかければ良いだけのことなのですが、なかなかスムーズに行かない場面もありそうです。このような社会の流れも、私は元をたどると分離教育という環境が影響しているように思えてしまうのです。

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