田村淳やジュニアの普段と違う姿
狩野やエースといった天然系の芸人たちの生き生きとしたリアクションは「ビビリ-1グランプリ」の大きな魅力である。ただ、この企画のもう1つの見どころは、田村淳や千原ジュニアといった普段は番組の仕切り役として支配的な立場にいる芸人が、驚かされる側に回って無様な姿をさらけ出す点にある。
これまで積み上げてきた「クール」「理性的」「賢そう」といったイメージが音を立てて崩れていき、ただの人間味あふれる「怖がりなオジサン」へと変貌する。そのギャップが見る者に強い印象を残す。芸人の普段見られない新たな一面を発掘しているという点でも『アメトーーク!』らしい企画だと言える。
そんなギャップの面白さを最も体現している存在が千原ジュニアである。通常時は切れのあるボケと冷静なツッコミでバラエティー全体を締める立場にある彼が、驚かされた瞬間に見せるのは、恐怖に歪んで呆然とした顔である。その姿は視聴者に「ジュニアもただの人間なんだ」と思わせて、安心感をもたらしてくれる。そして、彼が驚いている対象物よりも彼自身の驚いたときの顔が怖すぎるという「逆転のオチ」まで用意されている。
田村淳の無様さ際立つ
田村淳も、普段はほかの芸人を罠にかけて笑う側、ドッキリを仕掛ける側にいる。そんな彼がこの企画では完全に「狩られる側」に回ることになる。驚かされた瞬間、彼は全身の感覚器官が一斉に開いたような、顔面の穴という穴がパカッと開いたような反応を見せる。その様子は滑稽だが切実さに満ちていて、視聴者は「こんな顔もできるんだ」と思わず笑ってしまう。淳のこうした無様さは、普段の小賢しいイメージとの対比によって、いっそう引き立っている。
「ビビリ-1グランプリ」が放送されるたびに大反響を巻き起こしている理由は、シンプルな企画の中に重層的な面白さが感じられるからだ。人が驚いている姿を見て面白く感じるというのは人間にとって原初的な感覚であり、子どもからお年寄りまで幅広い層の人間に通用するものだ。『アメトーーク!』が長年にわたって多くの人に愛されているのは、人を笑わせるための企画の芯がぶれていないからなのだ。(お笑い評論家・ラリー遠田)
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