
広島県大竹市にある下瀬美術館が2024年、ユネスコが「世界で最も美しい美術館」を表彰するベルサイユ賞で最優秀賞を受賞した。オープンは2023年で歴史も浅く、なにより設立したのは広島の建築金物を扱う企業。さらにベルサイユ賞記念で行った、「わかりづらい」でお馴染みの現代アートの企画展は、スタートからわずか2か月で3万人を動員した。美術とは無縁の会社がなぜ、こんなミラクルを起こすことができたのだろうか。
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丸井産業は広島県に本社をおく建築金物の製造・販売会社だ。強みのひとつは、全国に網の目のように張られた営業拠点。全国の営業担当は、自社製品を含む約2万点の商材を販売しつつ、ときに配送する役割ももつ。大手ゼネコンから町の水道屋さんまで、どんなお客さんにも必要なものをスピーディーに届けることで、業界のリーディングカンパニーに成長した。
同社の副社長で下瀬美術館の代表理事である吉村良介氏(69)も、元営業畑。入社から約20年、営業車に乗り、ワイシャツにネクタイを締めて製品をお客に届けた。のちに管理部門で基幹システムを再構築するプロジェクトなどに参画し、役員にもなったが、美術とは無縁のサラリーマン人生だった。
丸井産業にも、吉村さんにも、美術館の運営経験はない。会社の知名度も高くはない。でも「埋没するのだけはイヤ」。同社オーナーの下瀬家が美術品のコレクターで、所蔵するための美術館建設の話が持ち上がったとき、吉村さんはそう断言したという。だが、何度も言うように美術館運営の経験はなく、美術の世界に造詣が深いスタッフもいない。世界的な建築家、坂茂(ばん・しげる)に相談したときも、いい顔をされなかった。
一介の金物屋なら、革新的なことをやらねば
いい顔をしなかったのは、ボードディレクターとして企画展のプロデュースやコレクション作品の選定に携わった高橋紀成さん(59)も同じだった。高橋さんは海外でも評価の高い画家、小松美羽を世に出したプロデューサーだ。元は広告マンで、映像作品のプロデュースを通じてエンタメ界には精通していたものの、自身も美術界での経験はまだ10年ほど。だが、丸井産業にはそれ以上に素人しかいなかった。