
23年4月の統一地方選で100議席獲得
反ワクチン思想は筋金入りで、国政政党となったのちの22年秋には当時代表だった松田氏が街頭演説で「ワクチンは殺人兵器」と声高に主張し、喝采を浴びている。現代表の神谷氏も22年に発売した党の「Q&Aブック」で、ワクチンを「人体実験」だと書いた。ただし、反ワクチン集団のなかでは比較的穏当だったと黒猫さんは振り返る。
「陰謀論は多かったですが、当時よく耳にした『ワクチンを打つとマイクロチップが埋め込まれる』というような意味不明な主張まではしていなかった印象です。ワクチンについて一応はまっとうに聞こえる主張をし、それを政治に持ち込む姿勢がワクチンに懐疑的な層の共感を呼びました」
22年の参院選では全45選挙区と比例代表区に候補を立てた。選挙区では全員が落選したものの、比例では176万票あまりを獲得。神谷氏が国会議員となり、得票率2%を超えたことから国政政党になった。
そして、翌23年にかけて政党としての体制を整えていく。参院選で擁立した候補者や関係者を中心に地方支部を整備、地方自治体選挙にも積極的に候補を立てた。無投票になりそうなところや当選倍率が低い地域に積極的に候補者を送り込むことで、次々と地方議員を誕生させていったのだ。特に、23年4月の統一地方選には全国で230人を擁立し、100議席を獲得。県議会、政令市議会でも議席を得た。
一方、最近もしばしば話題に上る「小麦は戦前にはなかった」「メロンパンを食べて死んだ人を何人も見てきた」などの珍妙な発言が一般に知られ始めたのもこのころだ。こうした主張は神谷氏自身も一部言及しているが、中心メンバーのひとりだった吉野氏らによるところが大きい。黒猫さんはこう推察する。
「神谷氏は結党以前から反科学的な主張をする人とつながっていましたが、彼自身がこうしたトンデモ主張の急先鋒(せんぽう)というより、周囲の意見を真に受け、信じて取り込みやすい人なんだろうと思います。彼の本質は反グローバリズムで、当初から掲げてきた保守色の強い政策がやりたかったのでしょう」
23年8月、党代表だった松田氏が退き、神谷氏が代表に就く。松田代表の時代から参政党の「顔」は神谷氏だったが、名実ともに神谷氏が代表となった。そして、同年11月ごろまでに吉野・赤尾・武田各氏が参政党を離れることになり、いわゆる「ゴレンジャー」は瓦解(がかい)した。
「党としてのイメージ転換を図ったのだと思います。このころから反科学的な主張を熱心にする人は党内であまり目立たなくなりました」(黒猫さん)