おばちゃんたちに教わりながら朴葉もちを包みました。みんなでワイワイやる作業もご馳走(写真/本人提供)
おばちゃんたちに教わりながら朴葉もちを包みました。みんなでワイワイやる作業もご馳走(写真/本人提供)

 にしても、なぜ朴葉を使うようになったのだろう。このエリアでは「朴葉寿司」や「朴葉飯」もあり、現代のラップのように、調理道具や携帯用包みとして広く活用されてきたそうだ。確かに目が慣れてくると、迫り来る山のあちこちに朴の木が気前よく生えている。身近にあって、しかも葉っぱが「なんでも来い」な勢いでおおらかに大きいので、自然に何かを包みたくなったのではと想像。

 郷土料理に詳しい知人によると、各地には様々な葉っぱで包む料理があるらしい。確かに、ササ、カシワ、サクラなど和菓子だけ考えても色々あるよね。きっと昔の人は、目につくあらゆる葉っぱを何かに使おうとしてきたのだろう。そう考えると我が近所の葉っぱでも何か包めるかもと注意深く観察してみたんだが、大きさ、柔らかさなどの条件を満たすものはなかなかない。「朴葉」の優秀さを痛感する。

 ところで朴葉で包む料理は、一年の中でも初夏しか作ることができない。早すぎると柔らかすぎて破れてしまうし、遅すぎると固すぎて包めないのである。なので地元の人は、この季節が来ると朴葉料理を作らなきゃとうずうずするそうだ。なるほど贅沢には2種類あるのだな。季節に背中を押されて生きる贅沢と、何でもお金で買う贅沢と。どちらを真の贅沢と思うかで、人生は大きく変わるように思う。

AERA 2025年7月14日号

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