
――モヤモヤや疑問、不満は溜め込まないことが大切なのですね。
比較的最近の話だと、バスタオル事件というのがありました(笑)。洗濯済みの新しいバスタオルを家族がすぐ使えるように、人数分をいつもの場所に掛けておくんですが、それもやっぱり取り換え係だなって「モヤッ」としていた時期があって。一度、洗濯後に掛けないでおいたんです。そうしたら、当然なんですけどみんなそれぞれ自分の分は出して、私のバスタオルは誰も出してくれなかったんですよ。
――切ないです。
私はそれにものすごく腹が立って、「なんでママのだけ出してくれないの!」と、ぶち切れたんです(笑)。
そのこと一つだけを考えれば別に大したことではないし、いつもだったら腹を立てることもなかったと思うんです。でもそのときは、みんなが当たり前のようにバスタオルが使える状態をつくっている私を誰も意識していないんだ、取り換え係がいるとすら思ってないんだって。感謝の言葉はいらないけど、やってる人がいるんだよと気づいてほしいんですよね。
家族全員で常にアップデート
――「誰かがやって当たり前」が家族全体に広がっている寂しさは、何とかしたいと考えている人は多いのではないでしょうか。
家族にとって必要だから家事はやります。そこに対して見返りがほしいわけでも、毎日感謝しろと思っているわけでもないんです。それは世の中の皆さんも同じだと思います。でも、私たちは機械ではないし、たとえば夕食後に「ごちそうさま」とだけ言って部屋に戻られたり、あるいはそれすらも言わないで食卓を離れられたりしたら、「ちょっと待ってよ」って思ってしまいますよね。
――自分ばかりが頑張って、心が疲弊することは避けたいです。
私は50代を迎えてからは徐々に、「頑張りすぎなくてもいいかな」っていう思いにシフトしてきました。毎日掃除機をかけなくてもいいかとか、今日は外食でいいよねとか。私がもし一人だったら納豆ご飯でもいいんです。でもこれまでは「家族がいるんだから作らないと」と思ってしまっていたんです。きっと夫は納豆ご飯でも喜んで食べてくれるはずなのに、私が私を勝手に縛っていたんですね。
――シェアすることや義務感にとらわれすぎているのかもしれません。そんなに考えすぎることはないと。
今、その縛りから抜け出せつつあります。「少しサボったくらいで死ぬわけじゃなし」というマインドですね。
元々、家事全般の基本的な主導権は私にありますし、みんな基本的には黙っているとやらないので(笑)。私が適当になってもいいんです。
男女の間で、家事の負担の差がない時代はいずれやってきます。子どもたちには自分のことは自分でやるようにと教えてきました。家族全員で考え方や価値観を常にアップデートしていく必要があると思っています。その先で、私はまず料理から卒業できたらいいなと、こっそり夢見ています。
(AERA編集部・秦 正理)
