撮影:馬場岳人(朝日新聞出版写真映像部)
撮影:馬場岳人(朝日新聞出版写真映像部)

 最初のうちは1日50個作るのがやっとでしたが、手が慣れてくるに従って100個、150個、200個と作れる数が増えていきます。

 最終的に300個作れるようになり、手間賃を引いた手取り額が1か月4500円になったんです。

 昭和20年代の終わりごろのことですが、当時の大卒初任給が5600円くらいだったので、バカにならない収入でした。

 夫婦と子ども3人の計5人が食べていくには十分な金額だったと思います。

 とはいえ、この内職、たまに途切れることがあったんですね。私の内職頼りの生活をしていたので、そうなるとたちまち困窮してしまいます。

 そこで私が思いついたのが、「他の収入源を持つこと」でした。

 近所に梨畑があって、平日はそこの家の奥さんが一人で農作業をしていたので、「私にも手伝わせてもらえない?」と尋ねてみたんです。

 すると「そうしてもらえるとすごく助かる!」ということで、早速、働かせてもらえることになりました。何でも言ってみるものですね。

 最初にしたのはあまり育ちがよくなさそうな梨を間引く作業でした。1本の枝にたくさんの梨の実がなるのですが、それを全部育ててしまってはダメなんです。

 1本の枝につき、よく実りそうなのを2~3個残して間引くことで、立派な梨に育っていくんですね。

 そうやって生き残った梨が大きくなると、今度は鳥に狙われる危険が出てきます。そこで梨に袋をかけて守ってやらなければなりません。

 高いところで梨に袋をかけ紐で口を縛る作業になるので、それなりに体力が必要でした。若かったからできたことだと今になって思います。

 そうこうするうち、梨農家の近くのリンゴ農家から「うちでも手伝ってくれない?」とお声がかかりました。

 こうして「密閉容器の箱作り」「梨農家の手伝い」「リンゴ農家の手伝い」と3か所で仕事をもらえるようになり、わが家の家計はグッと安定しました。

 特に果樹農家の仕事は一年を通してあったので、とても助かったんです。

 3人の子どものうちまだ下の子は小さかったので、農家の手伝いに行くときは連れて行き、先方の家のお子さんと一緒に遊ばせておけるのもありがたかったです。

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