(撮影はいずれも写真映像部・佐藤創紀)
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 芸能生活30周年を迎えた窪塚洋介さん(46)は今年、3本の出演映画が公開されるほか、自身のYouTube番組「今をよくするTV」を配信したり、ゴルフアパレルブランド「8G SHOOT」や日本酒「福霧」などのプロデュースも手がけたりと、活動の幅を広げている。そんな今だからこそ話せることとは――。

【写真】「イケオジ」とSNSで話題の窪塚洋介さん

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それぞれの場所でいい仲間と

――これまでの30年の芸能生活は、いかがでしたか。

 あっという間でしたが、いろいろあったな、という感じもあります。16歳から始めて今が46歳なので、人生の大半が芸能生活ですし。紆余曲折、急転直下の出来事もあったので、いろいろなフェーズを経験し、酸いも甘いも噛み分けられるようになったところもあります。

 とはいえ、「50歳まではひよっこ」と言われる世界でもありますから。何も始まっていないのかもしれない。

 ――ここまで芸能生活を続けられた理由は。

 家族、近しい仲間、仕事のパートナーに恵まれたのが、よかったのだと思います。気づいたら、俳優業のほかに、日本酒を造ったり、陶芸を始めたり、ゴルフのアパレルブランドを立ち上げたり、グラスをプロデュースしたり、YouTubeチャンネルをやったりとで。それぞれの場所で、本当にいい仲間に巡り合えているんです。

 ――大きな転機に、「2004年のマンション9階からの転落事故」を挙げています。当時はどんな心境だったのでしょうか。

「やっちまったな。情けないな。やべえな」という気持ちと焦りがありました。でも、退院後も体が痛いから何もできなくて、家のベランダからずっと浦賀水道を船が行き来しているのを見ていたり……。レゲエDeeJay「卍LINE(マンジライン)」の活動を始めたのはそのあたりで、そのしんどい気持ちを歌詞にしていました。あの出来事は、いまだに自分にとっては、「人生のなかで一番大きい七不思議」の一つです。

 仕事でアメリカに行く日で、準備をしてスーツケースを玄関に置いて、プロデューサーが来るのを待っている間に落っこちて。目が覚めたのが3日後で、みんなが集まっていて大変なことになったのを知ったという状況だったので。

 自分の中では黒歴史的な感じの足かせになっていたから、それを外すのに12年ぐらいかかりました。

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