母校の鹿児島県立甲南高校に頼まれて、上席執行役員だった2010年代後半に3回、台湾への留学生にアジア経済の講義をした。中国、香港、台湾の年表を重ねて教材にした(写真/山中蔵人)
母校の鹿児島県立甲南高校に頼まれて、上席執行役員だった2010年代後半に3回、台湾への留学生にアジア経済の講義をした。中国、香港、台湾の年表を重ねて教材にした(写真/山中蔵人)

寮で連休に熱を出し誰にもかまわれず母を思って泣いた

 73年4月、鹿児島市の県立甲南高校へ入学した。独りで海を渡り、最初は寮暮らし。似た境遇の離島からの生徒もいて、先生の「こういう勉強をしろ」との手ほどきに従って、淡々と勉強した。

『源流Again』で、高校にも寄った。実は寮で、1度だけ泣いた。最初の4月は普通に暮らしたが、5月の大型連休に発熱。扁桃腺が弱く、それまでもよく高熱を出していたが、このときほど心細いことはなかった。連休で、気にかけてくれる人はいない。「3月までなら母が薬をくれて、リンゴも摺ってくれた」と思うと、心細くて大泣きした。そして「独りで生き抜いていかないといけない」と、自立心が強くもなる。

 東京外国語大学の外国語学部中国語学科へ進んだのも、大学4年生になる前の79年3月から2年間、休学して北京の日本大使館でアルバイトをしたのも、前号で触れたように「海外へいきたい」の思いの実現のためだ。

 そこから「自分には国際的なビジネスが合っている」と考えて、復学して就職先選びで全日空(現・ANAホールディングス)を選ぶ。

 82年4月に入社し、羽田空港の旅客係でチェックインの客と接した。車いすの客をバスで案内し、タラップを背負って上った。大学で空手部に入り、二段まで腕を磨いた体力が、役立った。

 2022年4月、ANAホールディングスの社長に就任すると、コロナ禍などで中断気味だった新鋭機の導入に力を入れる。この2月に発注を発表した77機は、2028年以降に入ってくる。以前の発注分の残りも、60機超ある。もちろん、客の満足度を高めるためだが、新鋭機が子どもたちの目に留まって「海外へいきたい」と思ってほしい。

 訪日外国人客の増加は、ありがたい。「おもてなし」にもっと、心を込めたい。オーバーツーリズムの課題にも、目を配る。カギは、大都市や著名な観光地に集中させず、各地のいい風景、いい味、いい郷土芸能などへ分散してもらうことだ。

「日本へいきたい」は、自分たちの「海外へいきたい」と裏表だ。何をしていくかは、『源流』からの流れにも乗って、示していく。(ジャーナリスト・街風隆雄)

AERA 2025年6月16日号

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